​伝わってるからいいんです

TOV フレン×ケーキ屋ユーリ

​現パロです

 薬缶がけたたましい程の音を鳴らしながら、静かな部屋の中でぐずるように喚き立てた。今の今までテレビから聞こえる司会者の笑い声と、篠突く雨が奏でる外の騒音のみがそこにあったが突然の来訪者に少しだけ心拍数が上がる。我が子の泣き声を聞きつけた母親のように、先に身体が動いたユーリが「はいはい」と言いながらシャープペンシルをテーブルに転がして、腰掛けていたソファから起き上がり、台所までゆったりとした足取りで歩いていった。

 この光景は見慣れたものであり、その度何度か電気ケトルを買おうかと見当したが実はユーリが薬缶を宥める、この光景がフレンは好きだった。なんとも言葉にはし辛いが、自分の生活スペースを彼と共有して過ごしている実感がわく。ただ、ユーリは遊びに来ているだけに過ぎないのだけれど。

 フレンはソファを下りてすぐそこの床に座ったまま、隣のテーブルの上に開かれたノートを盗み見た。ユーリが転がしたままのシャープペンシルが無造作に置かれ、ノートには何やらスイーツのような物が描かれている。雨とか、カエルなんて文字も見つけ、フレンは何のことなのだろうかと首を傾げた。

 

「梅雨に入ったら客足少なくなるから、限定のスイーツとか考えてんの」

 

 上からユーリの声がして、「ん」と差し出された暖かいマグカップを受け取り、フレンもまた笑顔で「ありがとう」と答えた。彼が淹れてくれたココアはとても甘く、味が濃厚で美味しい。口溶けの軽いマシュマロが浮かぶそのココアは、まるで洒落たカフェで出てくるもののようにフワフワと愛らしく泡立っていた。微かに柚子の香りがして、冷蔵庫にあった柚子のジャムを入れたのだろうか、彼が料理に施す一手間はまるで魔法のようだった。

 

 ユーリが再びソファに腰掛け、握っているマグカップをスプーンでかき混ぜると一口飲んでココアの味に満足したように頷き、そしてもう一口啜った。

 

「牛乳なかったから味薄いかと思ったけど、そうでもないな。さすが、オレ」

「え、嘘。もうなかった?」

「なかった。空のパックそのまま冷蔵庫にあったから、洗って乾かしといた。なぁ、そんなことよりココアどう?」

 

 ソファから身体を前のめりにさせ、目前の床に座っているフレンの顔をユーリが後ろから覗き込む。少し首を傾げた仕草に胸がときめかない筈もなく、フレンは近い距離にあるユーリの髪の香りとか、色気とか、そう言った部類のものからの誘惑に堪えながら「美味しい」と照れた風に言った。ユーリもまた、そんなフレンの様子を見て愛しそうに目を細めて笑った。

 柚子の香りが凄くいい匂いだね、なんて。細かく気付いたことなどを、赤らめた顔で告げてくれるその健気さにユーリは自分より体格のいい、目の前の青年を抱き締めたくなって、とどまる。

 自分と彼は、あくまでも友人同士なのだから。気を持ち直して、平常心を装いながら「だろ?」なんて言ってみる。

 友人同士、といってもほぼ友達以上の関係には変わりない。潔く、それ以上の関係になってしまえばいいのにと思わなくもないが、ユーリはそんな自分の声を快く承諾できずにいた。

 だからこそこんなにも長い間、彼からの告白を聞き入れながらも、ハイと頷けなかった。

 

 フレンからの告白を保留しているのは、ユーリ自身であった。

 

 話は遡るが、ユーリが初めてフレンに会ったとき、彼は酷く落ち飲んだ様子で入店してきたのを覚えている。後から本人に聞いた話によると、ケーキ屋を訪れたのは付き合っていた彼女にふられた後だったらしく、それなりに好きであった相手だけに傷心し、自分を慰める為に普段は寄らないケーキ屋に足を運んだとのこと。

 フレンは店に入って来るなり切なげな空気を漂わせ、二つほどケーキを注文し、俯かせていた顔を上げてユーリと目が合った。

 海の色より薄く、空より深い碧眼。ずっと見つめていると此方が照れ臭くなるくらい整った顔をしていると、いうのがフレンの第一印象だった。

 長身の部類に入れられる自分と同じくらいの背丈で、柔らかそうなブロンドは思わず触れたくなる。ケーキを選んでいるその様子も絵になり、まるで自分の職場が何処かのスタジオのような気さえした。

 目と目が合い、そして、暫くフレンにジッとユーリは見つめられた。隣に並ぶのを少し躊躇しそうになるくらいの整いすぎた顔は花も恥じらうほどで、平均的な容姿である(と、ユーリは思っている)自分は何故か顔を隠したくなった。場に耐えきれず「以上で宜しいですか?」と声をかけると、自分を見つめていたフレンはハッと我に返ったらしく、「あ、は、はい。宜しくお願いします」なんて容姿には合わないトンチンカンな返事をした。

 箱にケーキを詰める動作もジッとフレンに見つめられており、慣れているはずの行程が少しだけぎこちなくなってしまう。あまりに彼からの視線が熱いので、自分が忘れているだけで知り合いなのかも知れないと頭の中で記憶を張り巡らせるが、自分の知人にこのような男性はいなかった。

 日が暮れて少し経ち、ショーケースに並べられたケーキも残り物ばかりの時間。店長は用事で少し出ているし、狭い厨房にいたスタッフも奥で休んでいる。客足も途絶えてそろそろシャッターを降ろそうかと思っていたタイミングであった為、店内は自分と、やたらと熱い視線を送ってくる客だけのような気がした。

 

『ここからご自宅まではお時間かかりますか?』

『えっあ、あの』

『……時間がかかるようでしたら保冷剤、いれますケド』

『あ!す、すみません。ここからすぐそこのマンションなので大丈夫です』

 

 顔を少し赤くして、慌てながら話す様子にユーリはクスリと微笑んだ。先程まで落ち込みきっていた様子は何処へやら、ユーリに笑われたフレンはまた恥ずかしそうに耳まで赤くさせる。

 実はこの時点で、フレンはフレンで、ユーリの容姿に見とれていた。男性か、と分かっていても綺麗だと感じ、微笑んだ笑顔に思わず顔を赤くさせてしまって恥ずかしさでまた俯く。

 隙のなさそうな容姿に、分かり易い言動とのギャップに緊張がほぐれ、ユーリは箱の蓋を閉めてフレンの方に顔を向けた。ケーキをこうして箱に詰めるまでの時間はとても短かったのだが、なんだかとても長い時間のように感じて不思議な感覚だった。

 

 前にも、こんなことがあった。

 

  ユーリ君、と穏やかな記憶の中の声が鼓膜を震わせた。ような、気がした。

 軽い立ち眩みを覚えながら、ユーリは二年前に起きた“あの時の出来事”が一部始終、断続的に脳内でフラッシュバックし、指先が冷たくなっていくのを感じた。

 違うことを考えなければ、そう思うと目の前にいる青年の姿が霞んで、スーツ姿の”アイツ“がそこに立っているように思えた。

 確か二年前のあの時も、自分はアイツにこんな風に見つめられていた。アイツも、あの時落ち込んだ風にしていて「どうかしたんですか」と気まぐれに二年前の自分は話しかけたのだ。ちょうど、自分がいま立っている場所と同じ位置で。

 目の前にいる、初対面の青年はアイツにとてもよく似ていた。顔とかじゃなくて、雰囲気とか、分かり易い態度とか。

 

 イルミネーションの光、ゴミ箱にたくさんあったケーキの箱、だんだん字が乱れていった日記帳に頻繁に現れるオレの名前。線香の匂いも、スーツの色も。

 生きたいと書かれていた、最期のページ。

 思い出す、というのは少し違うかもしれない。だって、二年前から今日まで、あの出来事を忘れたことなんて一度もなく頭の中をグルグルと周り続けていたのだから。許されたことなんて一度もなかった。謝れなかった、言えなかった、後悔ばかりしてきた二年間だった。

 

 これ以上はいけない、嫌な汗をかき始め呼吸が速くなる。自分の中で完全なトラウマへと変わっていたその記憶は、ユーリの手を震わせた。早く会計を済ませてしまおう、そう思って、顔を上げた。

 目の前に居る青年は、全くの別人なのに。

 誰かが、これは“アイツ”に謝ることが出来る最後のチャンスだと言ってるような気がしたのだ。

 

『……どうか、したんですか?』

 

 あの時と同じ台詞を、ユーリは、言った。

 

『えっ?』

『なんか、元気がなさそうだったから』

『少し、いろいろあって…すみません気を使わせてしまって』

 

全部やり直せる気がしたのだ。目の前の青年はユーリにとって代用品でしかなかった。彼は自分に無関心というワケでも無さそうだし、人に気を持たせることくらい容易いことだった。申し訳無さそうに微笑む姿を見て、罪悪感を感じない事もなかった。けれど、ユーリの中では押しに弱そうで、流されやすい都合のいい相手だとしか思えなかった。

 

『ここのケーキが、あなたの元気の足しになれば幸せです。またお越しください』

 

 胡散臭い笑顔は得意であった。そんな笑顔の裏にも気付けなかった可哀想な青年は顔をまた赤くさせ、こくりと頷く。会計を済ませて、店のドアまで彼を見送って手を振った。

 次、の約束は出来た。 

 そしてユーリはまた、自分を軽蔑した。

 

 ユーリはフレンに意図的に近づいていった。それは、まるで偶然を装った風に。行きつけのスーパーが近かったのも、家が近所だったのも偶然ではあるがそれを利用して故意にフレンの中にある自分をだんだん大きなものにしていった。

 仕組まれた偶然を知るはずもないフレンは見る見るうちに自分に溺れていく。そこまでは全て自身の計画の通りだったし、これらはあくまでもユーリが“アイツ”の代用品としてフレンに謝ることを目的として仕組んだことであった。

 

 なのに、気づけばフレンを代用品として見ることが出来なくなっていた。フレンは自分がユーリのことを恋愛対象として見ていることに気付いたとき、ユーリとの距離を離したことがあった。

 本来なら代用品としてでしかフレンを見ていなかった以前の自分なら、都合が悪いとしか思わなかったはずなのに、フレンのことが恋しく寂しく感じている自分がいた。

 メールを作成しては送れず、未送信フォルダには途中まで打ちかけたフレンへのメールばかりが溜まっていった。

 自分らしくない。人と、必要以上に深い関係を持つのが苦手だったはずなのに。二年前から、それはより一層酷くなって恋人さえ作れなかった自分は、何処へ行ったのだろう。心の底からフレンという青年の傍に、いたいと思っていた。

 引き際が分からなくなった。ここで止めなければと思うのに、好きでいちゃいけないのに。

 

『僕は、ユーリが好きなんだ』

 

 フレンに告げられた言葉が、ユーリの首を優しく絞めた。息の根を止められるくらい、それはとても苦しかった。この擬似恋愛は、本来ならここで終わりの筈だったのに。

 終わらせれる?楽になれる?許される?馬鹿を言うな、傷は深まっただけだった。馬鹿な自分への呆れた涙が止まらなかった。

 過去の自分も、アイツも、自分は何も救えなかったのだ。

 フレンの手を掴み、絞り出した声で出した返事は必死で、意地汚い言葉だった。

 

『オレも、お前と同じ気持ちなのかも知れない。でも、今のままお前のこと受け入れちまったら、意味がなくなるから』

 

  我が儘な自分は、フレンから離れることも結ばれることも出来なかった。ごめん、を繰り返すユーリをフレンは抱き寄せてくれた。

 フレンの優しさが、辛くて、苦しくて、愛しかった。そのまま肩に顔を押しつけて静かに泣いた。『君のためならいつだって待っていられる』と、フレンの言葉に安心した。

 残酷なことをしている。フレンはよく、ユーリを綺麗だと褒めた。その言葉に相応しくない自分を、ユーリは憎んだ。

 

『有り難う』

 

 この言葉の裏に隠された意味を、フレンは分かっていたのだろうか。きっと、知らない。

 あれから自分たちは友達という関係を演じている。それはもう、とっくに友達という関係を越えていても、お互い気付いていないフリをした。

 それで幸せでいられるなら、傍にいれるなら。二人の関係は歪で、このまま恋人として結ばれなくてもいいと思えるくらいに、お互いは相手のことを愛していた。

 

 自然と、自分たちが会う日は雨が多かった。いつものように、店の定休日にはフレンの家に行って、そのまま帰る日もあれば泊まる日もあった。キスもしなければそれ以上も、勿論ない。ダラダラとしながら話して、テレビを見て、一緒にスーパーに行って夕食を食べて。

 それでもいいから、こうして時間を共有したいとフレンも思っていたし、ユーリも同じ気持ちだった。

 

「梅雨って、まだ先だよ?」

 

 フレンの声が、少しの沈黙を途絶えさせた。

 

「ん?なにが?」

「ユーリが梅雨に入るとお客さんが減るから、メニュー考えてるって言ったんじゃないか」

「ああ、その話」

 

 フレンは空になったマグカップをテーブルにおいて、ユーリが思いつく案を書き出していたノートを再度見た。文字と共に可愛らしいスイーツのイラストが、所々に描かれている。

 意外と上手い。似合わないな、なんて思いながらフレンは微笑んで、白黒で細かく濃淡がつけられたショートケーキらしき落書きを眺めた。

 

「今から考えて試作とかしてねぇと、結構時間かかんだよ。仕事もあるしな」

「へぇ…ユーリが真面目だ」

「んだと、いつも大真面目だっつの」

 

 後ろからユーリに身体を脚で挟み込まれて、頬を両手で揉まれる。くすぐったさに笑って、ユーリの華奢な手首を掴むと、ユーリは脱力したように柔らかなフレンの髪に顔を埋めた。

 「全っ然いい案浮かんでこなくてさ」と、身体をこちらに預けて呟く。背丈も変わらず、軽くはない彼を下から支えるのは全然平気と言えるものではなかったが、密着しているのが心地よくフレンは「重い」と漏らさずにユーリの体温を背で感じた。

 何か手伝えたらいいのだけれど、生憎フレンは料理は得意ではなく、自分が食べる分だけなら適当に自炊するが人に振る舞えるほどの腕前ではなかった。料理本があれば話は別だが、自分で考えたオリジナルというのは難しい。

 限定というのなら梅雨といって、連想されるものの方がいいのだろうか。ノートに書かれた雨やカエル、といったキーワードはそう言うことなのだろう。しかし、それらをどうやって菓子に生かすのかが問題である。

 フレンはユーリをあやすように前後に穏やかに揺れながら、手首から手を離すと転がっていたシャープペンシルに持ち替え、何も描かれていない方のページの端っこに手持ち無沙汰からペンを走らせた。カリカリ、と芯がノートに引っかかり何かを描いているらしい音にユーリが顔を上げる。

 個人的なイメージの話になるが、フレンは絵が得意そうであった。基本的に何でもそつなくこなすし、料理とゴキブリ(駆除は普通に出来るようだがフレン曰く、前に居酒屋でバイトをしてた頃に大量のソレを見てから飲食店で食事をとるのが一時期出来なくなったらしい)以外は彼の口から苦手だと聞いたことはなかったのだ。何を描いているのだろう、少しだけワクワクしながら覗き込んだ。

 

「……なにこれ?」

「え?ウサギだよ」

「……なんでカビ生えてんの?」

「かっ、カビじゃないよ!毛だよっウサギには毛が生えてるだろ?」

 

 いや、生えてるけれど。ユーリは頭の中でツッコミを入れた。フレンがウサギだと言い張るそれは、確かにウサギ(?)に見えなくもない。しかも可愛らしくリボンらしき何かまで書き込まれており、フレンらしく細かいところまで拘られていた。けれどウサギ(?)の輪郭の取り方が一本線でなく、短い線で繋ぎ止められたもので、なんだか奇妙であった。それはきっと、ウサギに生えている体毛を表しているのだろう。

 絵心があるのかないのかよく分からない、そのイラストを見てユーリがにやつきながら「ネコ描いて」とリクエストをすると、少し不満げなフレンがサラサラと描いた。カビだと言われたことが不服だったのか、今度は輪郭を一本の線で描いていたがお世辞にも、それはネコには見えない。

 どちらかと言えば、キツネに見える。ユーリは堪えていた笑いがついに漏れてしまい、肩を震わせて可笑しそうに笑った。

 

「そこまで笑うならユーリも描いてみなよ」

「いーけど」

 

 フレンからシャープペンシルを受け取り、ウサギの輪郭を描いていく。とはいえユーリも絵が得意というワケでもなく、果物やケーキといったものなら普段からよく描くから描けるのだが、動物というとなかなか描けない。ユーリは少し筆を迷わせながらも自分なりのウサギを書き上げた。

 決して上手くはないが、フレンのカビの生えたウサギ(?)よりはマシに思える。

 けれど変なところで頑固なフレンは「ウサギは毛が生えてるのに」とぶつくさと文句を言い、ユーリに頭を撫でられながら唇を尖らせていた。フレンの拗ねた顔が可愛く、機嫌をとるように後ろから抱き締めてやると単純なもので、フレンはすぐに口元を緩めた。

 

「あ、そうだ」

 

 何か思い付いたような口振りで、ユーリが携帯を取り出す。タブレットの液晶に指を滑らせて、カメラのアプリケーションを起動させるとフレンが描いたウサギにピントを合わせて写真を撮った。

 ユーリに笑われたので後から消しゴムで消そうと思っていたものを、データで残されてしまいフレンは少し恥ずかしそうに携帯を握るユーリの手を掴んだ。

 

「ちょっ、なにしてるんだ」

「オレ機種変更して待ち受け画面初期設定のままだったからさ、なんかいいの無いかなって思ってたんだよ」

「君はカビを待ち受けにするのか」

「可愛い可愛いフレン君が描いたカビだかんな」

「カビじゃないってば」

「お前が言ったんだろ」

 

 フレンの肩に肘を置いて手慣れたように設定変更をするユーリを強く止めたいような、そうでもないような。絵の出来はともかく、自分が描いたものがユーリの携帯を飾るのかと思うと少し……いや、かなり嬉しい。

 絵の練習をして、今度は可愛いと言われるものを描けるようになっておこう。フレンはカビと形容されたウサギが待ち受け画面になるのは今のところは諦め、またいつかリベンジをしようとひっそりと決意を胸で燃やした。

 

「ヤバいな。待ち受け見る度笑っちまうわ」

「僕のカビが君の笑顔が作れるなら光栄だ」

「拗ねんなって。だんだん見てっと可愛く……、……」

「黙らないでよそこで」

 

 ユーリは何処か満足そうに、何度も待ち受け画面を見ていた。フレンもユーリが描いたショートケーキなどを待ち受けにしたいくらいだったが、それだとまるでバカップルのようだったのでやめておく。上機嫌なユーリは愛らしく、時たまクスクスと笑うのが幸せだった。

 バカにされてるんだかなんなのか、兎にも角にもユーリのこんな顔が見れたのなら結果オーライだろう。絵が上手くなくて良かったかも知れないと、フレンもつられて笑った。

 

「で、だ。新しいメニューはどうするんだ?」

「そうなんだよな、こんなカビで笑ってる場合じゃねぇんだ」

「君の表情筋を鍛えてくれたカビに敬意を払え」

 

 ユーリが手を伸ばして携帯をテーブルに置くと、四つん這いでソファの上を移動し、床に座っているフレンのすぐ隣へ座り直した。

 どーすっかな、とシャープペンシルを指でクルクルと回しながらノートに目を移した。フレンもユーリの役に立ちたくて、彼を閃かせるアイデアを出そうと思案顔を浮かべる。大学で養われた知識などはこういったものには活用されず、趣味の一つである読書で読んできた沢山の本の内容を思い出し、なにか使えるものはないかと頭を捻る。

 梅雨、といえば。すぐに連想されるのは雨である。雨から傘が連想され、続いてカエルやカタツムリ。しかしどれもスイーツとして表現するのは困難であり、フレンはどうしたものか、と溜め息をついた。

 ふと、田舎にある実家の庭が頭に浮かんだ。

 母はガーデニングが好きで、田舎なだけに広い庭を活用して、色んな花を植えていた。花が芽吹く春には色とりどりの花が咲いていたが、不思議と梅雨にはある一定の色の花しか見かけなかった気がする。

 フレンは「あっ」と声を漏らして、隣のユーリを見た。

 

「アジサイ」

「ん?」

「梅雨、っていったら雨とか浮かぶけど、形にするのは難しいだろ?でも、花とかならやりやすいんじゃないか?」

 

 「なるほど」と、頷いた。確かに、花となれば形にしやすい。ユーリは再び携帯を手に取ると、インターネットに繋ぎ、アジサイと打ち込むと表示されたアジサイの写真などを眺める。紫や青、中には赤っぽい色のものまで。思ってたよりも種類があり、これらをどうにかしてスイーツ出来ないだろうかと隣のフレンに凭れながら考えた。

 花か、その発想はなかった。考えるあまりに頭が固くなっていたようで、そこまでの発想に至らなかったのだ。ユーリはフレンがくれた大切なアイデアを元に、頭の中でタルトやパイ、ムースなどといった大まかな種類にケーキを分類して設計図を立てる。まず、アジサイの色だ。あまり青や紫といった色は食欲をそそらないし、パステル調のものなら何とかなるだろうか。サクサクとした厚めのタルト、クリームで転々と飾り付けアジサイの小さな花を感じさせるような……と、そこまで考えるがどうもピンとこない。

 とりあえずメモをとり、店長と話し合うときに使おうと今思いつく限りのことを書き留める。

 花といったところで、何もアジサイに絞らなくてもいい。しかし、自分は花などといったものへの知識は乏しく、梅雨に関連付けられる花なんてアジサイ以外に浮かばなかった。まだまだそのような面では勉強不足である自分を叱咤し、何事も知っていれば思いがけないアイデアへ繋がることを痛いほど理解した。

 ノートにメモを書き終え、ボーッとベランダの向こうを見つめる。隣にいるフレンはまるで自分のことのように一生懸命となって考えてくれているし、当人である自分がハッキリとした決断を出さなければ部屋には沈黙ばかりが流れるだろう。相変わらず自分達が会うときには雨が降っていて、スーパーに行く頃には止んでいればいいけれどと、曇って見えづらい空をユーリはベランダを通して眺めた。

 雨と、花。

 ユーリは小学生の頃、今はもう亡くなった母が好きだと言っていた花を思い出した。名前がとても特徴的で、母と住んでいた団地の小さなベランダで、その花を育てていたのだ。確か、あれも梅雨の頃に花を咲かせていた気がする。

 ユーリは、記憶の中にある花の名前を打ち込んだ。

 

「…ほたる、ぶくろ?」

 

 フレンが検索結果を見つめ、聞いたことがない、といった様子で首を傾げた。

 

「そ、蛍袋。ちょっと思い入れがあってな。確かこの花も梅雨頃に咲いてた気がするって思ってたんだけど……おっ、ビンゴ。やっぱ梅雨の花みてぇだ」

「変わった名前だね。どんな花なの?」

「よく釣り鐘状の花って言われてんな。名前の由来は子供が花の中に蛍をいれて遊んでて蛍袋になったとかで。まぁ、受け売りの知識なんだけど。ほら、こんな花」

 

 そう言って見せられた蛍袋と呼ばれる花は、確かに釣り鐘のような形であった。英語圏の方では[bell flower]その名の通り、鐘の花と呼ばれていることを示す表記がある。フレンは淡い紫色をした、下向きに咲いている可愛らしい花を見て「綺麗な花だね」と微笑む。

 

「母親が好きだった花でさ、すっげー狭い団地のベランダで育ててた」

 

 ユーリの母親は、彼が中学に上がったばかりの頃に亡くなったと聞かされていた。母子家庭であったために父親はおらず、親戚もいなかったユーリは行く宛もなく施設に入り、高校生になった時には既に一人暮らしを初めて、今勤めているケーキ屋でバイトをしていたとのこと。

 フレンも、事故で父親を亡くしていた。父を亡くしたばかりの頃は寂しくて仕方がなかったが、自分には支えてくれる母親がいた。ユーリはいま、どんな気持ちでこの花を見ているのだろうと思うとフレンは切なくなり、何も言わずにユーリに寄り添った。けれどユーリ本人は別にどうも思っておらず、突然身を寄せてきたフレンを不思議そうに見つめて(眠いのかな)なんて見当違いなことを考えていた。時々、二人は入り違ったことを相手に重ねる。

 

「花言葉がなんか、いい感じで。なんだっけな」

「調べてみれば?」

 

 肩を並べて、二人で小さな液晶を分け合いながら蛍袋の花言葉を検索する。求めていたことが表記されてそうな記事がいくつもヒットし、ユーリはその中から一番上のものを選んだ。

 ユーリは一通り目を通すと、口元に笑みを浮かべてフレンを見つめた。

 

「どんな花言葉だった?」

「……誠実、忠誠心、熱心に事を成す。それと」

「……それと?」

「正義と愛らしさ、だってよ。なんか、お前にピッタリだな」

 

 誠実、忠誠心、熱心に事を成す……そして、正義と愛らしさ。これは、もしかしなくても、自分はいま物凄く褒められているんじゃないだろうか。フレンは少し気恥ずかしくなり、「そうかな」なんて顔を赤らめた。そういうとこが愛らしさという項目に当てはまるんだけどな、とユーリはフレンが嬉しそうに笑っているのを横目で見ていた。

 

「ま、今日は頭使ったし。なにも急いで考えなくていいわけだから後はのんびりしますか」

「えっ、いいの?言うほど何もしてないけど」

「いいんだって。別に締め切りがあるっつーワケじゃないからな。暇がありゃいつでも考えられるし」

 

 それに今は、フレンとこうしてたいと言って、甘える風にフレンの肩に顔を埋めると暫くしてから大きな手がユーリの髪を撫でた。心地よく、身を預けながらフレンを見上げると顔が近づいて額にキスをされる。紳士ぶりやがって、とユーリがくすぐったさに笑いながらお返しと言わんばかりに頬にキスを落とすと、ユーリの頭を撫でていたフレンの手が細腰へするりと回された。

 少し抱き寄せられ、詰まる距離。けれどもそれ以上のことは、する勇気がない。

 お互いドキドキしながら見つめ合う二人の空気感は既に恋人以上の甘ったるさであったが、これ以上は駄目だと、どちらともなくストッパーをかけていた。

 フレンがこのまま押し倒せば、きっとユーリは流されてそれ以上のことだって許してしまう。もしくは、ユーリがフレンの頬に触れ、整った形の唇に口付ければ、それは深いものになるだろうけれど。

 煩わしい関係にフレンは胸を焦がした。既に友達以上のことはしている。自覚はある。見つめ合う空気感がより濃厚になってしまう前にと、フレンはユーリから手を離して咳払いをした。

 

「……えっと、さっきの蛍袋さ、なんだかシュークリームみたいだったね」

 

 我ながら、非常に聞き苦しい話題転換である。そもそも、その話はまた今度とユーリが流したのにも関わらず頭の中がこんがらがっていて、思わず再び新メニューについて話を掘り出してしまった。

 ユーリはポカンと口を開けた風に自分を見つめている。そりゃ、あそこまで艶めかしい雰囲気だったのに、突然のシュークリームとなるとそんな反応にもなる。フレンはやってしまった、と顔を青くして隣のユーリと向き合った。

 

「ゆ、ユーリ、あの」

「……薄皮…の…バターじゃなくて、サラダ油つかって…シュークリームの中は軽めのクリームとカスタードを……」

「…は?」

 

 ブツブツと遠いところを眺めながらユーリは何かを唱えると、カッと目を見開いて物凄い勢いでノートに何かを書き記していく。

 

「よくある丸っこいシュークリームじゃなくて、マドレーヌみたいな形で……一口サイズで食べやすくして」

 

 何か変なスイッチを押してしまったのだろうかと、フレンはあわあわとしながらユーリを見つめていると猛スピードでユーリは何かを書き留め、クルッとフレンの方を向くとキラキラと珍しく顔を煌めかせて、ユーリはガバッと覆い被さるようにフレンを抱き締めた。

 

「お前最高!ケーキしか頭になかったっつーの!なるほどなーシュークリームか。新商品として出せるなこれは。しかも見慣れた形のものじゃなくて、元が蛍袋とくると一風変わった形に惹かれてくるヤツも……」

「ゆ…ユーリ、苦じ……」

「……あ、わり。大丈夫か?」

 

 男の腕で力いっぱい抱き締められると、さすがに肺が押しつぶされるくらいに苦しい。ユーリは腕の力を緩めてゲホゲホと咳き込むフレンの頭をグシャグシャと撫でながら、スッキリしたように何度も頷いた。どうやら、場の空気を変えるために適当に思い付いたことがユーリにとってはいい発想になったようだ。

 

「フレンほんっとに有り難うな。すっげー美味いの作ってみせっから、また試食頼むぜ?」

「ああ、喜んで」

「とにかくまぁ、世話になっちまったしな。何かお礼させてくれよ」

「お、お礼なんて。いいよそんなの」

「いーから、ほら、何でも言えって」

 

 ユーリは上機嫌に口調を踊らせ、ふんふんと鼻歌を歌った。走り書きされた文字を満足そうに見つめて、フレンの方に顔を向け直すといつもより幼い笑顔で「なにがいい?」と、再度お礼の内容を訪ねた。お礼、というと、この場合なら『じゃあキスで』なんて言うのが場の空気を読んだ回答なのだろうか。けれど、ユーリはきっと心から感謝してくれていて、邪心なんて持たずに自分にお礼がしたい、と述べてくれている。フレンは「えっと」と考え込み、ユーリにして貰うべくお礼の内容を考える。

 ジュースを奢ってもらう?いやいや、そんな中高生みたいなことじゃなく。今夜は抱きしめて眠っていいですか、それも駄目だ。自分の理性が堪えれる気がしない。

 ユーリに、して貰うこと。

 フレンは「あ」と呟くと、正座に座り直し、ユーリの方に身体を向けた。

 

「今日の夕飯は、ハンバーグが食べたい……です!」

 

 フレンは、ユーリの手料理が大好きだった。彼にして貰えることなら何でも嬉しいが、彼が得意な手料理で、自分の大好物を作って貰えるとなるとフレンは期待に目を輝かせながらユーリに告げた。

 フレンの“お願い”を聞き入れたユーリは間をあけてから笑って、「了解」と答えるとベランダに目を向ける。

 空を覆っていた灰色の雲はいつの間にか消え去り、晴れ渡った昼下がりの青空が広がっていた。

 

「お、雨止んでんじゃん。今のうちにスーパー行こうかね」

「あっじゃあ、僕もついて行くよ」

「さんきゅ。」

 

 ユーリがその場から立ち上げると伸びをして、髪をまとめていたゴムをほどくと再び括り直した。ユーリがこの時、(まさかの夕飯メニューおねだりとは)と、彼らしい純粋な要求に密かに笑っていたことをフレンは知らない。

 

 ノートが広げられたままのテーブルの上には、揃って置かれた空のマグカップが二つ、仲睦まじそうに佇んでいた。

 

「ユーリ、今日はその…泊まるの?」

「なに、泊まって欲しい?」

「……できることなら」

 

 大胆なんだか奥手なんだか、ユーリは少しだけ、彼との中途半端な関係を考え直そうかとも思いながら振り向いて、「いいぜ?」と、フレンに答えた。

© 殴打