​伝わっていればいいんです

TOV フレン×ケーキ屋ユーリ

​現パロです

 靴の中は、湖状態である。加えて暴風で意味を無くしたビニール傘は、すでに僕の腕にぶら下がった燃えないゴミと化していた。全身に張り付く水浸しの衣服は不愉快を通り越して、もはや素肌と同化しているような気分であり、水を吸って重くなったのは服だけでなく身体までもがそうなったような気さえした。

 酷い目にあった。あまり床を汚したくはないので玄関先で水が滴るコートや靴下、タオルで包まれた鞄などを身体から一旦退かせる。ふと足下に目をやると、本来ならば自分の靴しか置いていないはずのスペースに、自分のものではない、けれども見慣れたスニーカーが投げ出されたように放置されていた。

 

 よくよく見れば、玄関からテレビやソファーのある居間へ繋がる廊下が僅かに濡れている。

 

 まさかとは思うが、もしかして来ているのだろうか。確かに合い鍵は彼にも渡してある。駅からだと彼の借りているアパートより、自分の住んでいるマンションの方が近いけれど。

 

(何も声をかけてこないなんて珍しいな)

 

 嬉しい反面、不思議に思って首を傾げる。来るときの連絡などは不要なのに、彼は毎度律儀に「今から行っていいか?」と連絡を入れてくる人なのだ。他人のプライベートに足を踏み入れることに関して遠慮がちな彼らしいのだけれど、僕自身、それが僅かに寂しい部分でもあった。けれど無理強いしてまで踏み込んで欲しいとも思わない。それは僕の我が儘で、彼がそうやって遠慮しなくなる距離まで、まだ近づけれてないということなのだ。

 それがどうしたのだろう、彼に限って、廊下も水浸しで靴も放ったままの状態。なにか彼にあったのだろうかと思案顔を浮かべながら、自分の濡れた前髪をかきあげて、彼がいるであろう居間へと続く廊下を一歩踏み出した。

 

 先程からの彼、とは親しい友人でもありそれ以上の関係のような、そうでもないような……と、微妙な距離を保ちつつあるユーリという青年を指す。彼は駅前のケーキ屋で働いていて、特徴的なのは普段は束ねられている、白い肌によく映えた長い黒髪だろうか。すらっとした体つきに、小さな顔。麗人のように些細なパーツ一つ一つが綺麗に整っており、特に、長い睫に彩られている、大きな額縁に飾られた濡羽色の瞳。あの瞳は、一目見たときから胸が震えた。

 

 なんて綺麗な人なのだろうかと目を奪われ、率直に言うと、彼の容姿がとてつもなく自分好みだったわけである。ド真ん中といっても、いいくらいには。

 ケーキを箱に入れる動作にさえも胸をときめかせてしまう程であったが、声や身長からしてすぐに男性だと気づき、最初は美術品を見るような心境と同じであった。美術品に、恋心は抱かない。しかし、それからというもの、お互いの行き着けのスーパーが同じであったり、家が近所であったりと偶然とは言えないようなことが次々と起こり…お気づきだとは思うが、僕、フレン・シーフォは只今無謀な恋心を、麗人……改め、ユーリという男性に抱いてしまっている。

 

 最初は悩まされたものだ。彼女にフられ、自分への慰めのために普段は足を運ばないケーキ屋に訪れ、そこで働く男性に恋をしてしまうなんて。確かに、ユーリは美人だ。けれど、彼と関われば関わるほどその綺麗な包み紙の内側にあるものに触れる機会も増え、その部分さえもが愛しく感じてしまうようになってしまったのだ。これを恋と呼ばずして、なんて呼べばいいのかなんてどれだけ厚い辞典にも載っていないはずだ。

 

 僕らは確実に距離を縮めていた。だが、どうしてもあと一歩のところを踏み出すことを許されない。何故ならば、彼は”何か“を抱えているようであるからだ。僕は、まだそれを知らない。その何かが、僕と彼の距離を一定に保ち続けているつっかえ棒となっているようであったが、彼が話してくれるまで僕は”何か“に触れようとは思わなかった。けれど、彼が以前、寒空の下でずっと僕の帰りを部屋のドアの前で座り込んで待っていたことや(それから彼に合い鍵を渡したのだけれど)、酔った勢いでしてしまったキスにも抵抗が無かったことから、少しの期待はしている。いつかそのつっかえ棒が取り払われて、彼を抱き締めることが出来るのではないだろかと。

 

 これほど熱い恋心を抱いている相手が、もしかするとこのドアを挟んだ向こうの居間にいるかも知れない、とすると。僕の鼓動は煩いほどに波打ち、もう服がびしょ濡れであることなんてとうの昔に忘れ去ってしまっていた。

 ドアノブを握り、恐る恐る震える手を抑えながらゆっくりとした動作で押す。

 

「……ユーリ?」

 

 思い人の名前を呼ぶ声が掠れる。部屋は暖房器具で既に暖められてるようで、体温が失われているほどに冷え切った身体にはちょうど心地の良い暖かさで包まれていた。夕方なのにも関わらず電気一つついていない部屋は薄暗く、静かな空間に響く、雨音とエアコンの機械音が何処か寂しくも感じた。

 エアコンがついている時点で誰かがいるのは明確なのだが、その思い当たる彼の姿が居間を見渡してもいない。何処かに出掛けてしまったのだろうか。でも、靴はあったし。

 先ほどかきあげた前髪が水の重みで再び顔にかかり、滴った水滴が床に落ちて、とりあえず何かに着替えようと張り付いたままの服に手をかけた。

 その時だ、僕に背を向けているソファーがギシりと音を立てた。

 

「……んん……」

 

 くぐもった、小さな声に耳を澄ませるも内側から身体を叩く胸の鼓動が煩くて何も聞こえない。まさか、まさかと思いながら、いや、でも、などと戸惑いつつ緊張から余計冷たくなった気がする指先を握りしめてソファーにゆっくりとした動作で、慎重に近づいた。それは、寝ている赤子を起こさないようにする、母親のようにも見える滑稽な動作だ。

 呼吸も、薄く開いた口で十分な量でない酸素を取り込んで静かに押し出すように吐き出す。

 普通に考えて、思いを寄せている相手が自分と同じ空間にいて、それも無防備に寝息を立てているかも知れないという状況に直面した場合、年頃……ちょうど僕くらいの男性なら、どのような行動をとるのだろう。なんだか間抜けなくらい緊張している自分が情けなくて、そんなことを考えながらやっと目の前にたどり着いた、人の気配のするソファーを、意を決してそっと覗き込んだ。

 

 僕は叫びたくなった。

 

 そこに幽霊がいた、などではない。誰の期待を裏切るわけでもなく(なんて言いながら僕しかいないわけだけど)そこには思いを寄せている相手である、ユーリが穏やかな寝息を立てて夢の世界へ旅立っていた。起きたら枕元にプレゼントが置いてあった幼い頃のクリスマスの気分を、まさか大学生になってから味わえるなんて思ってもいなかった僕は口元を手で押さえ、前髪から滴る水を気にしていれるはずもなくその場に静かにしゃがみ込む。

 いつもは自分からケーキ屋に出向いて会いに行くし、ユーリから来るときは電話があるのだ。だから、今日はユーリに会えるぞ、という心構えが出来る。電話なんてしてこなくてもいいのになんて言っておきながら、会える期待もせずにいつものように気怠げに家に帰ったら、ユーリが無防備にも寝て待っているなどとんでもない刺激物でしかなく、いつも彼が来る前に電話をくれていたのはただの気遣い以上のものだったのではないかとさえも思う。だって、僕がユーリのことが大好きであることは、ユーリが一番知っているからだ。

 

 すぐ隣にあるソファーに、ユーリが寝ている。ましてやそれを襲おうなんて野蛮じみたことは考えない。僕はユーリのことを愛しているけれど、そこまで見境もなく求めるわけではないのだ。あくまでもユーリが僕の気持ちに応えてくれて、二人がそういう関係になったら、なんて思春期の男子中学生のような妄想をしている僕にとって、寝ている相手を無理矢理などというのは己のロマンに反する行いなのだ。

 そもそもユーリは、僕のことを信頼しているからこのようなところで眠っているのに、自らユーリの信頼をぶち壊そうなんて思わない。

 

「……ごほん、ユーリ」

 

 いつまでもしゃがみ込んでる訳にもいかず、彼をとりあえず起こそうとソファーの正面に回って細い肩を掴み、優しく揺さぶる。

 華奢な身に纏った服が湿っていることから、彼が来たのは僕が帰ってくる一時間ほど前か、それ以内だろうと推測できる。今日は仕事だったのだろうか?仕事の時に大抵着ている、見慣れた少し厚手の白のシャツだ。

 彼が勤めているところはケーキ屋にしてみれば珍しく夜までやっている店のはずだし、まだ日が完全に暮れていない夕方に仕事をほっぽりだしてこんな所で濡れたまま眠りにつくのか……少し悩みながら未だ目を覚まさない彼を揺さぶっていると、ユーリは眉間に少し皺を寄せて寝返りを打つ。うつ伏せ気味だった身体は、ごろりと角度を変えて仰向きへと変わったが、それによって僕は彼の肩を掴んでいた手を思わず離した。

 寝返りを打ったことにより、何故かボタンが外れていたシャツが肩からずれ落ちて危うく臍まで見えそうな形になってしまったのだ。

 

「……勘弁してくれ……」

 

 恥ずかしげも無く晒された、白い胸を前に目をそらせばいいのか有り難く眺めさせていただけばいいのか分からずに視線を右往左往させながら狼狽えつつ、思わず彼の胸元に手をのばして開いたシャツを引き合わせて閉じる。寝ている相手を無理矢理なんて、と発言していた身なのだ。これ以上煽られるのは自分の理性が危うい気がしたため、自己防衛のため身体が動いてしまった。

 シャツに手を伸ばしたことによりグッと近づいた彼との顔の距離に気づき、再び息をすることを忘れる。普段は自分より少し大人びている気がするユーリの寝顔は何だか幼いように見え、ぴったりと閉じられた瞼を飾る長い睫毛がベランダから入る夕日によって頬に影を落としている。

 

 雨はもう、いつの間にかすっかり止んでいた。

 

 ユーリの額に張り付いた髪も何処かしっとり濡れていて、呼吸のため薄く開いた口唇からは警戒心なんてこれっぽっちも見えず、相変わらず深い眠りについていた。目の前に、自分の寝姿に目のやり場を失っている野郎がいるなんてことも、何も知らずに。

 

 落ち着いた思考が働いていれば、きっと眠っているユーリに適当な毛布をかけてあげて、彼が起きるまでに部屋着に着替えて濡れた床を掃除して、暖かいココア(ちゃんと、彼の好みに合わせた砂糖とミルクをたっぷりいれた特製のもの)を用意してあげるくらいのことは出来たのだけれど。顔と顔との距離が、30センチもないこの距離で、落ち着いてなんていれるはずもなく。

 離れればいいだろうという自分自身の声が聞こえた気もするが、本当は”彼の身体が晒されない為、はだけたシャツを合わしている“というのはただの口実でしかなく、僕は偶然訪れたこのチャンスを深層心理の中で、物にしたいと考えているのではないかと薄々気づいていた。

 

 彼に初めてキスをしてしまった時、僕は酔っぱらっていた。常連のお客さんからワインを頂いたらしく、けれどユーリは自分はあまりアルコールの類は得意でないから一緒に呑もうと誘ってくれて、僕はお酒は嫌いではないし、ユーリからのお誘いに浮かれていたのも相俟って普段より早く酔いが回ってしまった。

 いつもなら平然としていられる量でも身体は火照るし、隣には頬を少し赤らめたユーリがいるわけで。それからの記憶はうっすらと断片的にしか覚えてはいないのだけれど。

 

『お前、元カノにもあんながっつくキスしてたの?』

 

 と、ユーリに言われ自分がなにをしでかしたのかを説明され何度もユーリに謝った。幸いにも、数分にも渡ってただの唾液交換のようなねちっこいキスをした後、満足げに笑ってそのまま寝たようだが。キスをされた側である筈のユーリは楽しげに笑いながら話し、キスをした側である自分は、それこそ床に頭をめり込ませる勢いで謝り続けた。

 するとユーリは意地の悪そうな、何処か婀娜っぽい笑みを浮かべながら

 

『別に嫌ではなかったけど?求められんのって、悪い気しねぇもん』

 

 額と額をコツンと合わせて言われた言葉に真っ赤になった僕をからかうように、またユーリは綺麗に笑って僕の頭を撫でた。

 両思いであるような、ただ可愛がられているだけのような。同い年の筈なのに、どうも口ではユーリに勝てず、彼の一言一言に赤くなったり青くなったりと僕の恋心は忙しない。

 挙げ句の果てには『お前キス上手いんだな。気持ちよかった』なんて言われた時には『もうやめてくれ』と少し泣きそうな声でユーリの口を手で塞いだものだ。本当に、彼は僕を振り回すのが上手いというか、なんというか。

 好きで好きで、大好きで、たまらなくなる。

 

 少し意地悪で、なのにとてつもなく僕に甘くて優しい。何よりも綺麗で格好良くて、何処か儚げで、手を握っていなければ不安になるような恋しさを抱かせるユーリ。そんな僕を魅了して止まない彼がすぐそこで、無抵抗のまま四肢を放って眠っている。

 キスまではセーフだった。とはいえ、一度しかしていないのだけど。ユーリも、僕だからいいと笑って許してくれた。でも、それ以上を求めるのは欲張りだろうか。

 付き合っている訳ではない。僕らの関係は、今の時点では気を許した友達なのだ。ユーリに初めて自分の気持ちを打ち明けたとき、彼は少し思い詰めたような、悲しい顔をしたのを覚えている。

 やはり男同士ではあるし、気持ち悪いと思われたのだと思って、彼にこれ以上無理強いをしたくはなく『伝えたかっただけだから』と身を引こうとしたとき、ユーリは震える手で僕の腕を掴んだ。

 

『オレも、お前と同じ気持ちなのかも知れない。でも、今のままお前のこと受け入れちまったら、意味がなくなるから』

 

 そうして、今日までずっと告白は保留のまま。ユーリの過去に何かがあったらしいのは薄々気付いていたけれど、確証を持ったのはこの時だった。僕らの距離を一定に保たせ続ける、つっかえ棒の存在を。

 僕はいつまでも待っていると、ユーリをたまらず抱き締めた。抱き締めた身体は細くて、目で見るよりも頼りなく感じて、そしてとても暖かかった。『有り難う』と呟いたユーリの声は心なしか震えていて、何があったのかと聞きたい反面、怖くて、悔しかった。

 

「……ユーリ、好きだよ」

 

 シャツから手を離して、あの時のように彼を抱き寄せた。首もとに顔を埋めて、しっとりとしたきめの細かい白い肌から漂う甘い香りに逆上せて、頭がクラクラする。

 喉が乾いて仕方がないのに、緊張から分泌された唾を飲む音がゴクリと静かな空間に響いた気がした。布が擦れる音、ユーリの寝息。オレンジ色に染まっていた部屋が、あっという間に暗くなっていく。

 ぐっしょりと濡れていた服も殆ど乾いている。自分が長い間、ユーリにずっと見とれていたのだと気づいて少し恥ずかしく、逆上せた頭では彼のことしか考えれずに、髪が貼り付いた首筋にそっと唇を這わせた。

 

 ユーリが起きたら止めよう。ごめんね、と言えば許してくれるだろうか?もしかすれば、いいよ、と続きを強請ってくれるかも知れない。

 興奮しきった思考で、ユーリをとんでもない淫乱に置き換えながらギシリと音を立てて未だ眠りについている彼にゆっくりと覆い被さる。首筋にキスをするように這わせていた唇を少し開いて、恐る恐る舌先で同じ様に素肌を滑らせた。

 くすぐったいのか、もぞもぞと身体を捻って僕から逃げようとする身体を、思わず逃がさないように少し体重をかけて押さえ込む。

 ユーリ、早く起きてくれ、と何故だか泣きそうになりながら、それでも止まらなくて押さえ込んでいない方の手は徐々に彼の滑らかな身体をなぞるように下っていき、薄く浮き出ている腹筋を愛撫するように撫でると指先に彼の熱が伝わって、ぞくりとした感覚が背筋を震わせた。唾液で濡れた首筋から顔を離し、いつもより赤みが増した耳に触れるだけのキスをする。

 

「まだ、寝てるのか?」

「んっ……」

 

 下腹部を撫で回していた手の動きをとめて、その中心にある臍の窄まりを指の腹で撫でると既にはだけていた細い腰が僅かに揺れて、自分の動作にユーリが頬を赤く染め、小さく声を漏らしているのだと思うと下半身が重くなる。耳朶を甘く噛んで吸い上げると彼の呼吸の間隔は更に狭まっていった。

 耳が弱いんだなんて、呑気に新たな発見に感動しながら真っ赤に熟れた耳の中に舌を無遠慮に差し込むと大袈裟なくらい彼の身体は戦慄いて、そこで与えられているらしい快感を健気に伝えてくる。わざとらしく下品な水音を立てながら、僕の唾液で可哀想なほど濡れそぼった真っ赤になった耳をぼんやりと霞む視界にとらえて、夢の中にいるユーリをもっと乱れさせたい一心で一番反応を示す場所をザラザラとする舌でしつこいほど攻めてやると、ユーリはだんだんと控え目な声を漏らし始め、それは僕を求めている声のように都合よく変換される。

 耳の裏まで丁寧に吸いつくと悩ましげに揺れていた腰を大きく跳ねさせて、最初は逃げるように動かしていた身体も縋るようにぴったりとくっついていた。

 

 満足するまで愛でていた耳を漸く解放し、彼の顔の横に手をついて閉じた瞼を見下ろす。

 ハの字に寄せられた眉間は、いつもの凛々しい彼の姿とは対照的で、短い呼吸を繰り返す濡れた唇も、艶やかな桃色に染まった真っ白な肌も、上下する胸も、なにもかもが僕を刺激する媚薬のように思えた。身体を少し起こして、淫らに染まった上半身から下半身へと目をやる。

 気持ち内股になっている気がする脚は、ここからは見られたくない、と言っているようだった。無意識のうちに口元に笑みを作って、柔らかい内股を手のひらで体温を移し合うように揉み込んで、そのまま膝裏に手を差し込んだ。

 

 乾いた唇を舌で舐めて、好奇心のまま彼の足を開こうと、手に力を入れたとき。

 

 ガシッと手首を掴まれてハッと我に返った。

 

 顔を上げると、顔を真っ赤にしたまま潤んだ目のユーリが首を横に振って、小さな声で「タンマ」と囁く。その声は、短い呼吸の間隔に無理やりねじ込ませたような、途切れ途切れの制止の合図であった。

 呆然としている僕を後目に、ユーリもふるふると身体を震わせながら上半身を起こして、自分の脚を開脚させようとしていた僕にしがみつくように抱き付いた。

 

「もうちょっとで、その気になるとこだった。バカ」

 

 肩に顔を埋めながら、背に回した手で弱々しく小突かれた。呼吸を落ち着かせるように深呼吸をしているユーリが可愛くて、我慢できずにまだ赤い頬にキスをするとゴチンと頭を殴られる。少しだけ、痛かった。

 

「……いつから起きてたの?」

「ん……最初から。バイト早く切り上げて、一回アパート帰ってから着替えてここに来ようとしたんだけど、すっげー雨降ってきたから。勝手にあがった」

 

 悪い、と続けて僕に身を預ける。少し脱力しながら落ち着いてきた呼吸と共に僕の顔を上目づかいで見上げてくる。まだ少し目尻が赤くて、濡れた瞳に見つめられると途端に恥ずかしくなり、彼をぎゅうぎゅうと抱き締めて顔を隠した。

 起きていたのか、気づかなかった。そもそもどうしてあんなとこで寝ていたのか、突然家に訪れてきてくれたのか、聞きたいことが山ほどあるのに恥ずかしくて(つい先程まで寝ているフリをしていた彼に、いかがわしいことをしていた僕が言える台詞ではないかも知れないが)なにも言えないまま大好きなユーリの匂いに包まれて背中を優しく撫でられる。

 君に酷いことをしようとしたのに、と叱られた子供のようにユーリの顔をチラリと覗き込むと、目を細めていつものように微笑みかけてくれた。

 その笑顔に甘えながらごめんね、と続いて呟くとユーリは僕の頬を撫でて、優しく重ねるだけのキスをしてくれた。彼からキスをして貰えるとは思ってもなく、驚いて目を見開くと僕の顔が可笑しかったのか喉の奥で笑って、唇に指を当てられる。

 

「今日だけ、特別な」

「きょう……?」

「おいおい、忘れてんのかよ?オレはちゃーんと覚えてたってのに」

 

 だから、あそこまで許してあげたのに。とユーリは呆れながら僕から少し距離をとると、自分のポケットの中から携帯を取り出して、ディスプレイを僕に見せた。 

 もうとっぷり暗くなった部屋の中では液晶の照明は少し眩しくて、目を若干細めてシンプルな待ち受け画面と今の時間、そしてその下に今日の日付と何らかのメモが書かれており、ゆっくりと読み上げる。

 

「…フレン、の…誕生日…」

「おめでとさん、フレン」

「覚えてて、くれたのかい?」

「まぁ、な。今日はお前の誕生日っつーわけで店長にホールケーキ持たせられて、早く帰して貰ったんだけど、いきなり雨が降ってきやがったから着替えは諦めてそのままお前の家に上がり込んだわけ。傘も持ってなかったから服は濡れてるしで、前泊まったときに置いていった服にでも着替えようかと思って服脱いでたんだけど、昨日用事があって寝れてなくてさ。仮眠のつもりだったんだけど、そのままソファーで眠っちまって」

 

 そしたら僕が帰ってきたらしく、足音ですでに気づいてはいたが驚かしてやろうと思い寝たフリを続けていると、僕に抱きしめられ真剣味のある声で「好きだ」なんて告げられ、起きるタイミングを逃してしまった、ということだった。

 エアコンも付けっぱなしで、その上寝てしまって悪かったと、申し訳無さそうに謝ってくるユーリの傍で僕は自分を殴りたくて仕方がなかった。

 ケーキまで用意をして誕生日を祝ってくれようとしたユーリを組み敷いて、僕は何をしようと……いや、ナニをしようとしていた。彼が起きたら止めようなんて甘えたことを言って、彼はもう既に起きていたというのに。あのままユーリが寝たフリを続けていれば、僕は絶対に最後までヤってしまっていた。間違いなく、無抵抗を装ったユーリに酷いことをしていた。

 

 押し黙りながら自分の頭を抱える。酔っぱらって、そのままキスをしてしまったあの時と同じだ。僕は自分に甘く、理性というものを働かせることの出来ない動物と同等だ。最低だ、ユーリは優しいから何も言ってこないけれど、本当は怖かったかも知れないし、僕のことが嫌になったかも知れない。今日のことで、もう家に来てくれなかったらどうしよう。距離をとられてしまったら、なんて謝ればいいのだろう。

 色んな感情が後から後から出てきて、泣き出しそうになりながら、怖くなって俯いたままユーリの顔を見れないでいると再びユーリが僕に身を預け、凭れるようにしながら困ったように笑って、きゅっと鼻をつままれる。

 

「オレ、なにもしてやれないからさ。プレゼントとかも思いつかないし、物とかあげんのもどうかなって思って。取り敢えずケーキと、菓子買ってきた。好きだろ?」

 

 間をあけて黙って頷くとユーリは「よかった」と言って鼻から手を離し、次は頭を抱き込むようにして抱き寄せられた。それによってバランスがとれなくなり、素肌のままのユーリの胸元に顔を寄せる形になって慌てて後ろに逃げ込もうとするとグッと腕に力を入れられて、先程僕がユーリの身動きを塞いだのと同じことをされて彼なりの仕返しなのかも知れない、と火照る顔を押さえて大人しく抱き込まれた。

 満足したように僕の髪を撫でて、その心地よさに僕も少しずつ緊張がほぐれていく。するとユーリは僕の髪にキスをして、あやすような声で話し始めた。

 

「あのままセックスさせてやってもいいかな、って思った。正直」

「……はっ?!ば、せっ…え?!」

「落ち着けっつうの。でもさ、オレ、一応寝てるって設定だし。最後までさせちまうとお前がまた変な妄想して、自分追い込んじまうだろうな、って思ったから」

「へ、変な妄想って……」

「さっきだって、もしかしたらユーリは嫌だったのに我慢して寝たフリしてたんじゃないかーとか、考えてたんだろ?どうせ」

「うっ」

 

 図星をつかれ、返す言葉もない僕の頭上で再びユーリの笑い声が聞こえる。僕はこんなにもユーリの気持ちを理解しようと頑張っているのに、何一つ理解することが出来ない。なのに、ユーリは僕の思っていることを見透かして、的を得たことをスラスラと言い当てる。

 お前は分かり易すぎ、トランプゲームとか下手だろ。とユーリに言い当てられたことがあるが、それを言い当てられている時点で本当に僕は分かり易すぎる性格なのだろう、と諦めて返す言葉を探すのをやめて怖ず怖ずと頷いた。

 

「本当に嫌なら耳なんかあんなベロベロしゃぶられてねぇっつーの」

「…やめてくれ、僕の羞恥心を煽るようなことは」

「あー?人様の臍ン中に指突っ込んで手慣れた愛撫してたヤツが何言ってんだ。お前ほんとはヤりまくってたんじゃねぇだろうな」

「そんなワケないだろ!大学生になるまでとんでも無い田舎に住んでたのにっ初めての彼女が出来るまで、僕は……その……」

「童貞だった?」

「……う、うるさい!」

「お前が言ったんだろ」

 

 意地悪なユーリにムキになって、これじゃ本当にユーリに弄ばれているようだと、抱き込まれていた頭を上げてユーリをまっすぐに見つめた。

 さっきまで身体を震わせて感じていた、愛らしい姿をしていたユーリと同一人物だとは思えない、いつもの凛々しく美しい彼と目が合って、どうかしたか?と首を傾げられる。

 

 僕は、この人が大好きだ。最初は確かに、自分好みの容姿に惹かれた。でも一度話してみれば昔から知っていたような気がするくらい話が合って、どこか特別なとこに行かなくても、彼の傍にいるだけで楽しくて。一緒にいるだけでドキドキするし、男だからどうだとか、本当に気にならないくらいに彼への感情は日に日に大きくなっていった。

 最初は悩んだし、彼への恋心を認めたくなくてユーリと距離を離したこともあった。忘れよう、忘れようと思ってもふとしたことで頭に浮かぶし、寝る前にユーリの声が聞きたくなって。無理だった。この恋だけは、自分でどうにか出来るものではないと自分の気持ちを認めてユーリに再び近づいた。自分勝手だと思う。でも、ユーリは『寂しかった』と、言ってくれた。

 ああ、好きだなぁと、胸が痛いほど思った。

 

「……ユーリが、あのまま寝たフリをしていなくてよかった」

「……なんで?」

「大好きな人を抱くときは、ちゃんとお互いの気持ちが通じ合ってる上に、目を合わせながら好きだと伝えないとやっぱり駄目な気がするから」

「……お前ってよくそんな恥ずかしい台詞サラサラでてくるよな。詩人になったらどうだ」

「詩人になるより先に、君の恋人になりたい」

 

 愛してるよ、と次は僕がユーリを抱きしめる。

 オレも、なんて台詞はせがまない。僕の気持ちを受け止めてくれるだけで、幸せを感じれるから。

 僕はいつまでも待っていられる。君の傍で、君の隣で。

 

 はぁ、とため息が聞こえた。

 

「オレの何がいいんだか」

「君の何が、じゃなくて君がいいんだよ」

「……あほ」

 

 この後は二人で着替え終えたら、行きつけの近所のスーパーで適当な夕食の食材を買って、君のご馳走をおねだりしよう。ご飯を食べたら、君が用意してくれたケーキを二人で食べて、いつものように『泊まっていく?』と聞くんだ。

 そしたら君が頷いて、少し距離をあけた二枚の布団で雑談をしながら、おやすみと言葉を交わして一緒に寝よう。

 

 二十歳を超えてから、誕生日なんて楽しみでもなんでもなかった記念日なのに。君が傍にいると思うだけて、なんだか特別な日のように感じた。

 

「生まれてきてくれて、アリガトーゴザイマス」

 

 少し照れたようにユーリが棒読みで告げた言葉にはにかんで、僕は飽きもせず、まだ友達以上恋人未満である彼を再び抱きしめた。

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