世界よ我らに祝福を

VG  櫂×アイチ

​オメガバース櫂アイ。
高校生×小学生の年齢操作あり。
オメガバースの世界観には階級なるものがあるそうなので、櫂くんのおうち事情がいっそう複雑になってます。

 男は難しい顔をしていた。
 意識せずとも眉間に皺が寄りやすく、寡黙なことも加えて普段から近寄りがたいオーラを出しているが今はよりいっそう周囲に対して壁を作っているように見える。
 長い足を組み、放課後の公園のベンチに座っているだけであるが妙に絵になる。櫂トシキとはそんな男であった。
 いつもなら6限目まである授業をほっぽりだし、くすんだ紺蒼のブレザー姿のまま、まだ誰もいない公園で一人待ち惚けている。すると遠くから幼い子供たちの声がチラホラと聞こえ始め、櫂は分かりづらく強張った面もちとなった。
 小学生の下校時間がやって来たらしい。
 変な汗が出てくる。
「きょうヴァンガードやろうぜー」
「やろーやろー」
 変声期も迎えていない子供たちの無邪気な声の傍らで、今にも銃器などを乱射しかねないような凄みのある櫂の剣幕は同じ次元のものとは思えない。言うなれば、櫂の周りだけが仁侠映画に程近い緊張感が走っていた。
 どうしてこんなことに。何度も考え、そして答えの出なかった自問自答。これは本能だからと自身に言い聞かせながら、それでも拭いきれない罪悪感と自己嫌悪に遠い目になる。
 だが、いまこの瞬間櫂の中で「帰ろう」という選択肢は自然と浮かんでは来ない。待ち人が悲しむ顔を思い浮かべると、妙に胃が重くなる。それに彼は一度頷いた約束を放棄するような軽薄な男ではなかった。
 とは言え、頭を抱えたくなるような気持ちに変わりはない。厭に喉が乾くような感覚、待ってる間にコーヒーでも飲むかと近くの自動販売機へ向かおうとベンチを立ったときにそれは“香った”。
 どうしようもなく抗い難い、甘くて優しい、そして安心感さえ覚える匂い。
 本能が悟る。近くに番(つがい)となる者がいると。
 櫂は勢い良く周囲を見渡す。そして背後から、おおよそ数十メートルもの向こうの距離で小さな人影を発見。アルファ特有の優れた五感で、櫂はそれが当人であることを確認する。
 大量のアドレナリンが音を立てて爪先まで流れ込んでくるのを感じた。徐々に激しくなる動悸と立ち眩みにも似たふらつきを抑え込みながら、深呼吸を数回。
 オレにそんな趣味はない、ふざけろ、馬鹿げているなどと悪態をつきながらも足は自然と迎えに行ってしまう。
 本能だから、仕方がない。
 距離が縮まると、その小さな人影はより鮮明となり当然匂いも濃くなっていく。口の中に唾液が溜まっていくことに苛立ちさえ感じながら、どうにか平然を装ってみせた。
「アイチ」
 想定していたよりも優しい声が出てしまい、櫂は変な顔になる。小さなそれは呼びかけで櫂の存在に気づくと、トボトボと俯きながら歩いていたのを一変。満面の笑み、体中から溢れる「嬉しい」を隠しもせずに駆け寄ってくる。
 私立校の黒い詰め襟の制服。細くて折れそうなその櫂の待ち人は、紛れもなく小学生であった。
「櫂くん……っ!」
「走るな。転ぶ」
 如何にも鈍くさそうに走り出したアイチを制止し、代わりに櫂の方から近づく。それでもアイチは待ちきれなかった様子で、少し小走りになると櫂の脚にギュッと抱きついた。
 通りすがりの主婦やサラリーマンは一見微笑ましい光景に目を細めてクスクスと笑う。
 櫂はアイチとの目線を合わすため膝をついて屈み、顔にかかった前髪を指でのけてやる。アイチは櫂と目線が合ったことが嬉しいようで、大きくて丸い青色の瞳を輝かせると「えへへ」と笑った。
 制服を着崩した素行の悪そうな高校生が、小さな子供に対して優しげに接している。
 そのギャップのなんと目映いことか。
「櫂くんもがっこう、おわったところなの?」
「ああ」
 お前の為にサボって来たが、という言葉は飲み込んだ。出席日数はレッドラインすれすれの男だが、成績面に関しては抜かりない。単位なんてどうにでもなる。そんなことよりも、アイチに会いたいと全ての細胞が訴えかけてくるのだった。
 傍にいるだけで噎せ返りそうな甘い匂い。これを感じ取れるのが自分だけであるのが、未だに信じられない。
 目の前の少年、先導アイチはオメガ性である。
 しかしオメガ性と言ってもまだ発情期も訪れていない、言わば未成熟な存在で、将来的に子を宿す器官があるだけに過ぎない普通の子供。二次性徴と共に十代後半から発達するとされる第二の性機能も今は眠っており、この歳の子供たちは総じてベータ性と何ら変わりなかった。
 だと言うのに。
 アルファ性である櫂トシキは、その“眠っている”オメガ性を持ち合わせる先導アイチに初めて会った時からなぜだか無性に強く惹かれていた。
 初対面でも強く惹かれ合うアルファ性とオメガ性は、極稀に存在する。それを世間的に、運命の番という言葉で表現することも知識としては知っていた。
 しかし、否、それでも。
 櫂は今も悩んでいた。
 まさか自分の相手が小学生だったなど、どこの誰が納得出来るというのか。
 それも、まだ発情期も迎えていない、ちんちくりんな子供相手である。こんな子供相手に目眩さえ起こしそうな今の現状を、認めるなど断じて出来なかった。
 アイチはアイチで、幼いながらも無自覚に櫂に惹かれているらしく、身体的に密着するスキンシップを異様に好んでは櫂を困らせていた。
 性的な知識がないためスキンシップと言っても抱きついて見せたり、手を繋ぎたかったり、膝に座りたがるという可愛いものだがそれを受け入れる側の櫂としては中々に苦しい。
 しかし拒むとアイチが泣きそうな顔をするのを知っているため、強くも言えずにねだられるまま応えるしか選択肢がなかった。これは惚れた弱みというよりも、自分に懐く子供を邪険にし辛いという罪悪感の方が大きい。
 甘ったるい匂いと、狂おしいほどに相手を支配したいと感じる脳からの分泌物。それらの生物学的にも抗いがたいとも言われるアルファ性としての本能を前に、櫂は屈することなくねじ伏せて見せた。
 これが恋だの愛だのと言った抽象的な存在でもないことを、本人が一番分かっている。
 だからこそ。最低限、この子供が大きくなるまで、この本能が思いとなるまで大切にしなければならないと感じていた。
 本能のまま従うなど、まっぴら御免である。それこそ、従ってしまえば腰を振る猿と変わりない。
 彼はアルファとしての自身の性を好んではいなかった。
 櫂は厳格な家系の生まれであり、両親亡きあとも親族からの徹底した支配下の下で育った。それらは親族が許可していない、家柄に相応しくない余所者のオメガ性を孕ますことがないようにと言う、永遠の監視を意味する。
 だがアルファ性であるにも関わらず、櫂は精通を迎えた歳となっても“用意された”オメガ性に対して性的興奮を覚えることが出来ないでいた。
 それは周囲から性行を促されて従おうにもオメガ性から発せられる独特のフェロモンの匂いに吐き気が止まらず、身体が動かなくなる程に深刻な状態で、親族は櫂を病院へ通わせた。
 結果、原因の全ては両親の死という強い精神負荷から伴う、後天的な疾患の一種だろうと医師の診断を受けて今に至る。
 治るかどうかは、分からない。一生このままであることもあると、医師も親族も揃って神妙な面もちであったが櫂はその診断受けて自由を得たと思った。
 性などに縛られない、一族を背負うこともない、本当の意味の自由。
 出来損ないの烙印は、自由の証であった。
 監視の目は離れ、そこから一目散に逃げ出すように一人暮らしを決め、昔両親と暮らした地へと帰ってきたのが今年のこと。
 だと言うのに、アイチと出会ってしまった。
 それから眠ったままであった雄としての本能が漸く目を覚まし、初めてオメガ性に対して嫌悪や吐き気以外の欲求を覚えたのである。
 まるで、謀られたかのようなタイミングであった。
 この現状が、親族に知られたらどうなるか。アイチと引き離されるのは勿論、最悪の場合は再び軟禁されても可笑しくない。
 古い家系となればなるほど、アルファ性を持つ男児に対して重きを置くことは一般的である世の中。櫂は一族の財産と言っても過言ではなかった。

 誰にも悟られてはならない関係。

 性などに支配されないまま自由でありたいと思うのに、目の前の少年の全てを欲しいと思ってしまうことが苦しい。けれど、この子供を手放すという選択は、もっと苦しかった。
 どこまでも貪欲で一方的な感情。
 恋ではない。愛でもない。ただの生物としての、原始から既に用意された本能である。
 穢らわしく、醜いとも感じる。守りたいなどと綺麗事を並べて誤魔化しながら、本心では組み敷いて、めちゃくちゃにして、泣いても身体を抑えつけたまま未成熟なそこに子種を吐き出して、無理矢理にでも子を孕ませてやりたいと思う気持ちもまた、本当だった。
 アイチはそんな感情を知らぬまま優しい兄のような存在だと信じ切って櫂に懐いている。
 まるで騙しているようだと、どうしようもない自己嫌悪が櫂を蝕んだ。
「……じゃあ行くか、カードショップ」
「……! うんっ!」
 櫂は笑顔こそ浮かべることは殆どなかったが、アイチといると自分の表情が柔らかくなることに薄々気づいていた。
 自然と車道側に立ち、少年と並んで歩こうとする。が、クンッと弱い力でブレザーの裾を引っ張られ、視線を下に向ければ小さな手が櫂のブレザーを握っているのが見えた。
 手を繋いでくれるまで歩かないという、普段は控えめなアイチらしからぬ無言の主張。そんな様子に櫂の手が渋々小さな手をとると、アイチは満足げに手を握り返した。
 昔馴染みである三和曰く、櫂はどうにもアイチに弱い。
「櫂くん」
「ん?」
「きょうね、性教育だったんだよ」
「ぶ」
 歩き出し、突然舌足らずにそう告げられて思わず吹き出す。
 小学五年生ともなればそういった授業があるのは自然だが、他の同級生よりも幾分か幼い──オメガ性なので当然なのだが──アイチの口から“性教育”と聞くのはなんだか居心地が悪い。
 吹き出した櫂に対して首を傾げるアイチに「なんでもない」と素っ気なく返し、続きを促す。
「ぼくはオメガだから、赤ちゃんができるって前に習ったんだけど、そういえば櫂くんってなんなのかなぁって」
 そう言えば、自身の第二の性についてカミングアウトをしたことがなかった。
 通常、二次性徴を迎えれば匂いで何となく相手の性も判断が出来るようになるが、アイチほどの年齢であると無意識に感じ取ることは出来てもハッキリと判断することは難しい。
 性を問われ、櫂はなんとなく言い淀む。
 また難しそうな顔をしている櫂に、アイチは再び首を傾げた。
「櫂くんもオメガ?」
「いや……」
「ベータ?」
「ちがう」
 少しの間。アイチは、目を丸くする。


「……櫂くん、アルファなの?」

 性教育ということは、アルファ性とオメガ性の関係についても習ったということだ。
 ここでアイチの声が嬉しそうであることが、何を意味するかなど察することが出来ないほど櫂は鈍感ではない。

 櫂は、そう。アイチが自分に抱く感情が、敬愛から別のものに移りゆく瞬間を見たくはなかった。

 本能として備わっている感情に、流されるのがどうして嫌だと思うのか、自分でも分からない。周囲はそんなことも気にせずに番を作っているというのに。
 今もこうして、様々なものを押し殺して保てているひび割れた理性を、どうにか崩さぬようにと抑制している自分が酷く滑稽に感じる。
 虚しい。そう、思った。

「……ああ」

 肯定を意味する短い返事に、アイチの顔が赤くなる。対して、櫂は擬似的な兄と弟の関係もこれで終わりかもしれないと考えていた。
 学校で上手く馴染めていないらしいアイチを見かねて、櫂が気晴らしとして教えてやったカードゲーム。アイチはそれを甚く気に入り、また、それを口実に、二人でこうしてカードショップに行っては穏やかな日々を過ごしてきた。
 嘘でも、ベータだとでも言えばよかった。
 ここまで培ってきた感情も、関係も、全ては本能によって上書きされる消失感。
 でも、アイチを騙すようなことは避けたいと思う。性に振り回され、矛盾まみれの感情に傷つきながら、十六歳の青年は小さな手の握り方を忘れそうになった。
 既に成熟したアルファ性のフェロモンに誘発され、発情期を迎える幼いオメガ性も少なくはない。近い未来、発情期を迎えたアイチに抱いて欲しいとせがまれたら、自分は拒めるだろうか。
 守りたい、大切にしたい、本能に流されたくないと思いながら、結局は自分もただの雄でしかないことを思い知らされるようで指の先が冷たくなっていく。

 そんな櫂の手を、柔らかく、暖かな手が強く握った。

「あの……あのね、櫂くん」
「……どうした?」

 こんなに苦しくても、アイチに対しては自然と優しい声が出ることに笑いが漏れる。
 恋でも愛でもない筈の、出来合いの感情に心が引っ張られているのだと自嘲した。
 頬を染めた小さな少年は、何よりも愛らしく孔雀緑の瞳に映る。困ったような、恥ずかしいような、何とも言えない顔をしながら口を開けたり閉じたりを繰り返している様子でさえ愛しい。
 今も絶えずに発せられる甘い匂いに酔いながら、かき消されそうな感情がどうか欠片だけでも残りますようにと願う。

 ──この家に相応しい行動を心掛けなさい。

 両親が亡くなり、殆ど軟禁にも近い生活を強いられていた頃、永遠と言い聞かされた言葉。
 思い返すと反抗心のようなものだった。
 自分は、性になんて囚われない。オレは、オレでありたい。そう自分自身に誓ったというのに、決意など本能を前にするとなんと脆きものか。
 アイチは耳まで赤くして櫂を見上げた。
 その瞳は揺らいではおらず、真剣そのものである。
 口が、開かれた。
 
「ぼ……っぼくが大人になったら、櫂くんに相応しくなったら、ぼくをお嫁さんにしてくれますかっ?」

 道のド真ん中での、逆プロポーズ。
 どんがらがっしゃーん、と自転車が横転する音。男子小学生が、男子高校生に求婚する現場を偶然見てしまったことで動揺した女性が派手に転んでいた。
 櫂は数回瞬きさせて、眉間に皺を寄せ、苦笑いをしたあと真顔でアイチに向き直る。


「……あ?」

 まさかの言葉に、すぐに返事など出来るはずもなく。

 櫂トシキ、十六歳。

 恵まれた容姿と、多彩な才能。成功を約束されてると言っても過言ではない、由緒正しいアルファ性を併せ持つ言わば生まれながらにしての勝ち組である。
 この物語は──そんな完全無欠に等しい男が、とあるオメガ性の少年に振り回されつつも、自分がとっくの昔に本能ではなく恋心として相手を求めていたことに数年かけて漸く気がつく、やたらと気の長い純愛かっこわらい物語である。

© 殴打