​刀剣乱舞 大和守安定

​捏造沖田くんなどがメインです注意

「沖田先生、何してるんですか」
 少し訛った聲と共に鉄之助が部屋に入ってくると、今日は具合がいいのか近頃はずっと横になっていた沖田が身体を起こしていた。
「今日も体調が良くてね」
 も、と沖田は強調する。鉄之助は困った様に肩をすくめた。
 土方は今江戸に下っており、その間は土方の小姓同然に仕えていた鉄之助が沖田の世話を任されているのだ。元から小食なこともあったが、病で余計食が細くなりつつある沖田の箸がすすむ様にと工夫した食事を運び、鉄之助は黙々と用意をする。ちらりと、沖田を見た。痩せた顔である。けれど、普段より随分と顔色も良く見えた。横目で見たそんな沖田の様子が、ただ、嬉しかった。
 この頃、ずっと隊務もこなせない程に体力が落ちていた沖田は言葉にこそ出さなかったが、明らかに窶れ、憂いに満ちた顔をしていたのだ。
「今日は猪肉を柔らかくなるまで煮てみたんです」
 この人は病人食の様なものは嫌がるからと鉄之助なりに考えた優しい献立。しかし獣肉は臭いから苦手なんだ、という偏食気味の沖田の我が侭を鉄之助は聞き入れない。
 体力をつけなければならないから、というのが鉄之助の考えであった。先生は治さなきゃならない、何度も鉄之助は云うが、沖田はその度いつも通りの清々しいまでの微笑みを浮かべて「治るさ」と云い、前に土方が生家から持って来た虚労散を口にしては「土方さんの為に飲んでいる様なものだ」その味の酷さを皮肉って、また笑った。
「市村くんは本当に世話女房みたいだなあ」
 沖田は膝の上に乗せた自分の愛刀を撫でながら喉の奥で笑う。沖田はよく、鉄之助をそう例えた。からかっているのではない。口うるさい事への冗談めいた抗議と、感謝の意を込めてである。
 土方は無理をするなと沖田に云う。だが言葉では「分かってますよ」と返しても、沖田は云う事をちっとも聞きやしない。副長の命令は聞いても、土方歳三の小言は中々聞き入れなかった。
 ふらふらと労咳独特の咳をし乍ら帰って来て、戸を閉め切ると布団も敷かずに私室で倒れる事もこれまでに何度かあった。鉄之助はその度、戸の隙間から倒れ込んだ沖田を見つけると土方を呼んだ。床を踏みしめ乍ら歩き、沖田の部屋に足を運ぶ土方の表情から怒りこそ読み取れるが、その口が決して聲を荒げることは無い。
 怒りを噛み砕き、沖田を布団に寝かせ虚労散を煎じ、鉄之助にも煎じ方を覚えさせた。
 幼い頃からの仲なのだ、沖田も土方の心情を読み取っていた。だが「すみません」とは決して云わない。質が悪い。「お気にしすぎですよ」などと真っ青な顔色を浮かべても笑おうとした。
――あいつァ、ああいう奴なんだ。頼んだよ市村くん。
 土方歳三、鬼の副長。しかし鉄之助は土方の言葉に素を見た気がした。
 土方の小姓として周りの世話をする中で、この沖田総司という男の世話も任される事にもなり、様々な角度から彼を見るようになって分かった事が幾つかある。沖田は大人になりきれない男、というより、その笑顔や無邪気さは鉄之助から見ても子供同然にも思えた。
 孤児となり、九歳の頃から市ヶ谷の試衛館道場に住み込むと、沖田は子供らしい幼少期も過ごさず只々剣に魅入られる様にその才能を咲かせたと聞く。
 あれは天才だ、周りは認めずにはいられなかったが誰かが沖田の剣を褒めると可愛らしく照れた様に笑って「私はただ人より此れを振るってきただけです」と返す。厭味でもない、謙遜でもない。褒められて嬉しい、という顔であった。
「沖田先生。ご用意、できましたよ」
「市村くん」
「はぁ、なんでしょうか」
 沖田はまだ、刀を撫でている。
「此れは、私をどう思っているかな」
 沖田が撫でていたのは大和守安定である。
 虎徹に似た作風、刻まれた裁断銘が其の切れ味を物語る刀。あれがどれだけの人を斬って来たのか――沖田は話せば朗らかで、黙っていてもにこにこと笑っている天真爛漫な人だ。だが彼は京を血に染めた一番隊組長、沖田総司である事に違いは無い。
 その仕事ぶりからして鉄之助は、何とも云うことが出来ず、口を開けたり閉じたりする。
「何を云うてるんですか」
 やっと出た鉄之助の言葉に、沖田はまた無邪気にクスクスと笑う。
「いやね。刀が、私をどう思っているだろうって」
「沖田先生は刀からすれば、ええ主なんじゃないでしょうか」
「そうだね、私には此れしかないんだから」
 健康的な色をしていた沖田の肌も今は白く、青く映った。
 まるで刃の様に。
 剣に生きてきた。其の身、人生を全て剣に捧げたと云っても過言ではない。
 生きる為に剣を握った。沖田にとって、剣とは存在意義その物だったのかも知れない。
 命令であれば、斬った。
 身寄りのない沖田にとって。だからこそ近藤や土方の傍にいたかった、沖田にとって。
 思想や幕府がどうという事なんてものは正直、沖田からすれば明日の夕餉よりもどうでも良い事だったのだ。
 池田屋の際、斬り込みに参加していない山南は、弟の様に可愛がっていた沖田に対し「自分がどうして人を殺しているのか分からなくなることがある」と胸の内を晒した。その後も何やら小難しい事をつらゝと述べ、沖田も適当に相づちを打つ。
 山南と土方との関係が、この頃から既に良くない方へと進んでいた。
 だが沖田は黙殺し、「君はどう思う」と山南に答えを求められると「私は――」少し間をあけて、「正直、思想や、そういうのはどうだっていいんです」と、何も偽る事なく、自分の言葉で語った。
 山南も一度キョトンとしたが、しかし何かを云うわけでもなく、目を細めて「君らしい」と微笑んだ。
 沖田も山南に懐いていた。頭が良くて、気品もあって、人柄も良い彼に。
 尊敬はしているが土方は少し粗がありすぎるし、近藤は何処か甘すぎる。ならば山南くらいの男が、何処に出しても恥ずかしくない武士だとも思っていた。
 板挟みと云う程のものでもない。沖田は、ただ、時代を歩いた。
――総司、お前が行け。
 山南が、置き手紙を置いて新選組を脱走した。
 新選組局中法度。其の二、局ヲ脱スルヲ不許。切腹だろうなと沖田は思ったが、けれど相手は山南だ。まさか、そんな。
 追っ手として、沖田の名を土方が呼んだ。
『私が行くんですか』
『ああ、お前が行くんだ。いま、馬を走らせれば追いつく』
 副長からの、命令だった。
 沖田は瞼を閉じた。次に開いとき、山南への気持ちを断ち切った。
『分かりました』
 いつもの笑顔が、少し曇っていた。腰の刀に熱が籠るのが分かる。
 そして、早咲きの桜が舞うあの日。
 沖田の介錯刀が落ちた。
「この子にも私しかいないだろう。私はね、時折自分が刀のように感じるんだ。けれど、人を斬れなくなった刀はどうなるんだろうね。折れた刀は、痩せた刃は」
 痩せた自身の細い腕を眺める。命令であれば斬ってきた手であった。それを悔やむ事は微塵もないが、この手に握られて来た刀は今、今の自分をどう見ているのだろうと少し気になったのだ。
 人を斬る為に打たれた刀と、命令なら手を血に染めた自分。
 自身が死ぬなどと考えた事はない。病状は悪化していく一方だったが、生まれもっての性格なのか自分の死と云うものを想像出来ず、悲観的にもなれない。だからこそ気持が急ぐのだ。
 まだ戦える。まだ、斬れると。
 しかし病に蝕まれた身体は、動かなくなっていく。
 鉄之助はカッと、頭に血が上るのが分かった。
「沖田先生、そんなの、やめてください。誰も先生を置いていったりはしません、棄てたりもしません。やから土方先生も、こうしてお薬煎じてくれたんじゃないんですか。沖田先生、治すんでしょう? 云ったじゃないですか。嘘だったんですか、武士に二言はないでしょう」
 沖田がそんな事を云う事自体、珍しかった。いつも巫山戯て笑っていた。だのに、自分の様な人間にそんな事を零すなんて。沖田先生は狡い人だと鉄之助は歯を噛み締める。
 土方副長なら、近藤局長なら何か云ってあげれたのだろうか。
 総司はどうだと自分に聞く土方の事を鉄之助は知っていたから。今日は夕餉も全部食べたんですよと返すと「そうか、そうか」と土方が頷くのを知っていた。
 鉄之助は顔をくしゃくしゃにさせて泣くのを堪える。沖田もこれには驚いたらしく、姿勢を整え、刀を置くと自分の食事の前で肩を震わす鉄之助と向かい合った。
「まるで土方さんが二人に増えたみたいで参ったな」
 そんな顔をさせるつもりはなかったと謝り、「早く治さないと」と付け加える。
「先生が、変な事云うから」
 裾で顔を拭う、まだ十代の幼い鉄之助のお叱りとお節介は沖田には堪えた。
 沖田はまだ死ねない。
 自分は近藤や、土方、新選組の剣なのだ。
 折れる訳にはいけない。
「市村くん、食べるのを手伝ってくれるかい」
 冷めてしまった食事を、沖田は箸を取ってつつく。目を離すと食べた振りをして何も口に入れない事もあったので、鉄之助は沖田が食べ終わるまでをずっと横で見ていた。そこには一人の食事は寂しいからという気遣いもあった。
 土方に云われたのだ、沖田を頼むと。
 そして自身を刀に例えた沖田を、鉄之助は今更乍らその通りだと思った。
 彼が人殺しをする為に生まれて来たと云う意味じゃあない。そして、刀も、ただの人を殺す為の道具だとも思わない。
 只管に美しかった。自身で見つけた生まれた理由のため、抗う事なく。けれど何処までも自分らしく振る舞う姿が。
 刀も主を選ぶ、と鉄之助は思っている。彼に振るわれる刀もまた、沖田と出会うべくして出会ったのだ。この人に使われる事を、刀も選んだに違いないと鉄之助は信じたかった。
 そんな刀が、今、先生をどう思っているかなんて。
――沖田先生、貴方が今考えている事を、刀も思っている筈ですよ。
 口には出さなかった。沖田なら、もう分かっていると思ったからだ。
 これからか、若しくは生まれ変わったら、なのかは分からない。鉄之助は自分も、刀の様に生きたいと思った。理由のため、生きるため、誰かのため。
 障子から吹き込む風が、鉄之助の頬を撫でる。
「お手伝いなら、任せてください」
 沖田は鉄之助に笑って、少し咳き込んだ。
 左うして、二人の背を見詰めるもう一つの影があった。
 その者に名は無い。強いて云うならば、風や雨と似た存在で人に姿を見せる事はない。正しくは、人には見えない。物の怪に近い存在である。
 影は、古くから大和守安定に憑いていた。
 いつから目を覚ましたのかは自分でも分からぬ。
 自身が刀に憑く者と自覚できた理由は単純明快。影は匂いや味は分からないが、人の皮と肉を抉り、骨をも断ち、血に濡れる感覚だけは知覚することが出来、また其れは自身にとって悦びでもあった。嗚呼、自分は其処で握られている刀であるらしいと、漠然とではあったが理解した。
 沖田総司という人の子に出会ったとき、影は僅かに惹かれるものがあった。なんと云っても居心地がよく、面白い程に剣の扱いが上手い。気持がよかった。
 最初は、それだけ。
 人と云うのを長年見て来た。けれど沖田だけは、自分が見て来た人間とは少し違って見え、そこからだ。
 追っ手として向かわされた沖田が、山南に追いついて“しまった”時。
「山南さん、こんなのは」
 嫌だ、と。
 芋道場の時から兄の様に慕っていた山南に、沖田は云いたかったのだろうか。けれど沖田は後は何も言わず、山南が刀の鯉口を切ったのを見て、自身も、殆ど同時に大和守安定を抜いた。
「君が来たのか、意外だった」
 よく見た山南の微笑みだ。けれど、次の瞬間にはもう其の顔は沖田を睨んだ。
 町中で刀を向け合い、睨み合う二人に女や子供は聲を上げて逃げ出し、男も慌てて逃げて行く。二人だけになった静かな空間で、先に踏み込んだのは沖田の方だった。
 だが沖田はすぐに踏みとどまり、刀を降ろす。
 動く気配のない山南の名を怒鳴るように叫んだ。
「山南さん、行ってください。行かないのであれば私を斬ってください」
 なぜ、あなたは。行くならば置き手紙などせず、姿を眩ましてほしかった。
 私に追い付かれて欲しくなかった。どうして、こんな事になってしまったのか。沖田は「山南さん」とまた呼んだが、語尾はもう、聞こえない程に弱々しい問い掛けだった。
 山南は分かっていた。
 土方が沖田を向かわせたのは、こうなるからと予想していたからだろう。他の者であれば、有無を云わさず自分を斬ったに違いない。
 自分を山南さん、と云って語りかけてくるこの若者は不思議な存在で、話せば憤って荒んでいた心も落ち着いた。山南は、己とは違う世界を生きている様にも見える沖田が何より可愛かった。この混乱の時代には、きっとこんな子が必要なのだろうとさえ思った。
 冷たい風が頬を撫で、同時に乾いた血の跡が見える沖田の口元が月の下でよく見える。
 嗚呼、この夜風は沖田君の身体に障るだろう。山南は駄々をこねる弟を宥める兄のような口調で語りかけたが、それは、残酷なほど優しい声であった。
「君を斬れる訳がないだろう、新選組一の天才相手に」
 山南は微笑んだ。
 刀を鞘に収め、行こう、と歩み寄った沖田の背に手を回して云う。ぶらりと、腕から垂れ下がっていた大和守安定を鞘に収めて沖田は震えそうな息を止めた。
 キンと静かに響いたのが、言葉のようで、大和守安定に憑く影はすぐ近くで沖田の手が震えているのを見たのだ。
 触れる事の出来ない其の手を、改めて、触れて、握りたいと思った。
 人で云う心に近いものが生まれた影は――否、大和守安定は、自分で沖田を選んだ。
 しかしどうしたか、あの一件以来、最近の沖田は布団で寝てばかりいる。人の身体は不便だ、どうやら病と云うものらしい。
 時折、沖田は思い出した様に布団の上で刀を撫でると「すまないね」と漏らす。
 沖田に寄り添う事で、心に似たものを得た大和守安定であったが、それでも其の謝罪の意味を汲み取れない。出来る事は、此の人の子が弱っていくのを、眠らずに、ただ見ているだけ。
 人の言葉を借りて言うなら、その時の感情は確かに“悲しい”であった。
 可笑しいことだ。物の怪が人の子の身を案じるなど。馬鹿げた事だ、一時の持ち主を想うなど。けれど、大和守安定は恥じなかった。触れる事が出来ればと、聲を出す事が出来たらと。どうか許してほしい、という気持で沖田の背に凭れる。人の身に触れる事は出来ない、自分が触れれるのは、沖田が人を斬る時のみ。
 大和守安定が身を預けていると沖田はたまに振り向いて、そして“何もなかった”背に首を傾げ、前を向くのだ。それだけでも大和守安定は嬉しかった。人を斬れなくなった彼の傍に、人を斬る事しか出来ない自身がいる事を許された様な気がして。
――此れは、私をどう思っているかな。
「君はきっと、僕の生まれた理由だ」
 大和守安定の口が動いた。聲は、誰にも聞こえない。
 沖田が、また咳をした。

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