可愛いあの子

VG  櫂×アイチ

​アイチのことを可愛いと思ってる櫂くん

 櫂トシキの恋人である先導アイチは、一言で言うと幼かった。
 まず、外見が幼い。
 年の差は一歳と、さほど離れてはいなかったが、頭が一つ分と違うのであった。
 櫂が少し見下ろせば、アイチの右巻きのつむじが見える。並んで歩いているとき、アイチが話し始めると、そのつむじが話しているように見えるのが面白かった。
 時には背を屈めて耳を傾けなければ、アイチの決して大きくはない声が聞こえないこともある。
 普段は三和などの体格のあまり変わらない友人を連れているときには感じない不便であるが、櫂にとってはその一手間が、不思議と煩わしいと感じることはなかった。
 昨日のご飯はね、学校でね、体育の時間にね、などと唐突に自分の身の回りで起きた出来事を一生懸命話し始め、一秒でも長く櫂とのやりとりを続けようとする健気な姿を「へぇ」と聞いてやりながら、観察するのがこの男の趣味でもある。
 三和から言わせると、その趣味は「意地が悪い」だそうだ。
 けれど、男は気にしない。
 話が終わると、アイチは必ず櫂の顔を見上げた。
 そして、決まって「えへへ」と笑うのである。
 櫂はそれを平然と、なんでもないように見下ろしながら、この可愛い生き物はなんだろうなァと思い耽ったりもした。
 それも、この男の趣味の一つである。
 アイチの顔とは、小さな丸い輪郭に、これまた小さな鼻と小さな口が行儀良く並べられ、程良い位置にある目だけがクリクリと大きい。
 その面もちは、まさに小動物か子猫と言ったところであろう。
 それがまた、なんとも可愛いのだった。
 笑うと見える少し前歯も、ふくふくと丸い頬も、あまり丁寧に整えられていない太めの眉も、それが櫂にとっては程良いものであった。
 可愛い、とは櫂にはあまり持ち合わせていない感覚であったが、きっとアイチのようなことを言うのだろうということを今なら分かる。
 先日、産まれたばかりのアザラシの子供がニュースに取り上げられていた。
 動物の子供など、今までは子猫以外は特になんとも思わなかったはずである。
 猫は、良い。
 猫は理由もなく、無条件に良いものだが、その他は櫂にとってはただの動物でしかなかった。
 だからと言って、動物が嫌いなわけではない。
 どちらかと言えば好きなのだが、可愛いという感情よりも、子供の頃からまずライオンを見れば「なぜ鬣(たてがみ)があんなに発達したのだろう」だの、「アヒルやガチョウなどの、飛べない鳥はなぜ羽が退化しないのだろう」だの、そう言ったことばかりを永遠に気にする少年であった。
 つまるところ、幼い頃から櫂トシキとは筋金入りの変人だったのである。
 ちなみに、櫂はアイチを変人呼ばわりするのだが、端から見ればどちらも別の種類の変人同士である話はここでは割愛する。
 そんな変わった感性を持ったまま育ってしまった櫂であったが、ふとテレビに映った、白い毛に覆われ、床を這いずり回り、意志もなくモゾモゾと動く物体を目の当たりにしたときに一つの衝撃を受けたのである。
 アザラシの子供が、アイチに酷似していたのだった。
 櫂は二度目の衝撃を受けた。
 不覚にも、今まで動物でしかなかったはずのアザラシの子供を、「可愛い」と思ってしまった己に。
 櫂はコーヒーの入ったマグカップをローテーブルに置き、息を吸って、そして吐いた。もう一度、テレビを見る。
 コロコロと、転がる白い毛玉がいた。アナウンサーが呑気に「かわいいですね~」などと宣っている。
 櫂は、隣を見た。
 仮にも恋人の家に来たにも関わらず、ソファの隅で丸まりながら爆睡をしているアイチの背中が見えた。
 しかも寝相によってズボンが少しずれ、尻の割れ目が数ミリ見えてしまっている。その姿に色気もへったくれもなかった。無防備さにムラムラどころか、風邪をひかないかの心配が一足先に浮上する。
 櫂はアイチが腰を冷やさないよう、静かに毛布をかけながら、自分の意識の変化に気づきつつあった。
 それからハムスターや、モルモット、ウサギなどを見ても「可愛い」と思えるようになった。
 アイチはこんなに毛むくじゃらではない。どちらかと言えば体毛などツルツルで、目を凝らせば薄い産毛が見えるかどうかと言うレベルである。
 それでも、アイチに似ていた。
 今まで、猫は良いなと思っていたが、齧歯類も良いなと思い始めていた。
 それが、先日のことだ。
 そして今。
 アイチが塾で提出された宿題を、ダラダラと櫂が淹れてやったココアを啜りながら、面倒くさそうに取り組んでいる姿を見下ろす。
「早く終わらせろ」
 アイチはやり始めると早いが、スイッチが入るまでがとてつもなく遅い。
「……せっかく櫂くんのおうちにいるのに」
 ボソボソと、怒られないくらいの不満を口にして唇を尖らせつつ、シャープペンシルの芯を先端から出したり入れたりをしている。
 こんにゃろう。
 櫂はコーヒーを一口啜ってから、「遊ぶな」と声をかけた。
 先日、平気で恋人が隣にいるにもかかわらずソファで爆睡しておきながら、アイチは己を棚に上げてそんなことを言う。
 そういう、少年であった。
 しかし、そこが可愛い。
「でも」
「でもじゃない」
 ピシャリと言い切られ、アイチは仕方なさそうにコリコリと手を動かし始める。
 櫂はアイチのどこか不満げな、幼い顔を盗み見て少し笑い、ソファの横に置かれていた雑誌を手にとってペラペラとめくる。
 載っているのは都内の桜の名所。
 少し遠出してもいいが、アイチはすぐに疲れてしまうため、やはり泊まりでもない限りは近場がいいかと櫂は思案する。
「春休み、終わる前にどっか行くか。弁当持って」
 櫂の一言に、バッとアイチが勢いよく顔を上げた。
 大きな目がキラキラと輝いている。まぶしい。
「おはなみ!?」
「でも、誰かさんが宿題いつまでも終わらせないんじゃ、無理だな。やめとくか」
 がーん、である。
 アイチは頭がとれそうなほど首を横に振り、縋るような声で「もう終わるよ」と言った。
「お弁当、あの、だし巻き卵いれてください」
「それ終わったらな」
 えへへ、とアイチが笑う。
 櫂の幼い恋人は、やはり可愛いのであった。

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