Wherever you are

制限時間4時間

お題:思い出の僕《TOV下町》

 ダングレストからヘリオードへ向かう道の途中に降ってきた夥しい水量の俄雨は、ブーツの中まですっかり水溜りを作っている。
 皆挙って濡れ鼠のまま街に転がり込むと、真っ直ぐ宿へと直行したがユーリだけはただ一人足を止めた。
「わり、先行っといてくれ」
 風邪をひくぞとでも言いたげなカロルを後にして、ユーリは絞らずとも水の滴る髪のまま騎士団本部と掲げられた、彼がいるかもしれない駐屯地へと向かった。
 ユーリが天を射る重星のマスターから手紙を受け取ったのはつい三日前のこと。
 昔こそ下町に住居を構えていたユーリではあったが旅を始めてからは行く場所を転々とする根無し草となり、彼がギルドに所属していることを知っている者はこうしてダングレストのギルド本部経由で手紙を送ってくることの方が多くなった。
 今では下町よりもダングレストに向かうことの方が多いユーリにとってはそちらの方が断然ありがたいことは確かである。しかし、自分に文などを送ってくる唯一の差出人の名は、ギルドの街であるこのダングレストの中でとなると少々目立って仕方がない。
 最初の一通目を手渡された時は流石に血の気が引いた。偽名も使わず、そのまま世間に知れ渡った本名で手紙を送ってきた親友に。
 だがそれも繰り返されるうち、血の気が引くなどといったことは最近大分なくなってきた。
 慣れというものもあるが何よりこのマスター本人があえてなのか、本当に気にしていないのかは兎も角、差出人《フレン・シーフォ》についての言及を一切してこないのが大きな理由であろう。
 それでも上等な羊皮紙に美しい藍色のインクで描かれた文字が呼びかけてくる『ユーリへ』の文字への妙な照れ臭さだけは慣れることはない。だがそれは昔からのことであり、定期的にこうして送ってくるフレンからの便り自体を邪険に思ったことは一度もない。
 手紙の内容は実に平凡なものであったが、なんとなく皆が寝静まった時間に、フレンからの手紙に目を通すのがユーリの中で常であった。
 今回届いたものは、ユーリが下町を出てから実に七通目の手紙である。
 その手紙の中でいつもフレンが挨拶かのように「元気にしているかい、無理はしていないか」と真っ先に綴っているのがなんだか可笑しい。まるで自分に母親か父親でもいたような錯覚を覚える。妙に老けた文面は普段の彼の印象とはそぐわなくて、声も出さずに笑ってしまうのだ。
 筆圧の強い、しかし形の崩れていない字は癖の強いユーリのものとは違って手本のような美しさが目立った。
 今日の月は綺麗だ、次行く場所で会えたらその時は顔でも見せてくれ。
 書かれている中身は毎度さして変わることはない。それでもユーリは一字一句、逃すことなく彼からの手紙に目を通すのである。
 ユーリが下町にいた頃から騎士団で勤めるフレンより、手紙が送られてくることは度々あった。
 魔導器という文明の利器があるとは言っても、未だ多くの民が手軽にとれる連絡手段が主に手紙であるこの世界にとって、親友の近状を知れる手段もこの手紙だけ。
 だからこそユーリも、フレンへの返事を書こうと筆を持ったことは過去に何度かあった。しかし何を書いて伝えればいいのか分からず結局筆を置いてしまって、そうこうしている内にフレンから次の手紙が届いてしまう。
 そんなことの繰り返しの果て、返信を出せていないことに関して初めてユーリが謝ったことがあった。確か、まだお互いが二十歳になったばかりの頃だった気がする。
 あれはフレンの小隊長への昇格が決まった時期で、珍しく彼が貰ってきた休暇の日。ユーリの部屋で下らない雑談をして巫山戯合いながら笑っていた。
 話題の中でなんとなく手紙の話になり、ユーリはハッとして言い訳らしい言い訳もせず、数年間一方的に自分への手紙を綴ってくれている親友に対し、初めて自分が返事を書かないことに関しての謝罪をしたのだ。
 するとフレンは、何か言い淀む事もなく、怒った様子もなく、あっさりと「最初から返事を欲しいと思って送ってたんじゃないよ」と言ってのけたのである。
 こうも毎回返事を出さないでいれば「少しは君も返事を書いたらどうだ」くらいは言ってくるに違いないと踏んでいたユーリにとって、その言葉は意外なものであり、思わず間の抜けた声を出してしまったことを覚えている。
 するとフレンが「なんだい、その顔」とユーリのポカンとした顔を見て笑いながら、封の切られた手紙を手にとって何か静かに歌うような口調で話した。
「ユーリが読んでくれているのなら、それでいいんだ。これは君にしか送れない」
 フレンが手にとった、その手紙はフレン自身がユーリに宛てた手紙の中の一通。机の上に置いたままだったものを拾い上げ、剥がされた真っ赤な封蝋を満足げに見つめた。
「僕がユーリに話したいだけだからな」
「……そんなんでいいのか?」
「いいんだ」
 自分が書いた手紙を握りしめたまま、フレンは腰掛けていたベッドへそのまま倒れこむように横になり、シミだらけの天井を眺めた後椅子に座るユーリの方へチラリと視線を送る。
「忙しくもあるけど一人の時間はいつだって付き纏ってる気がしてね。あの場所で今日の月は綺麗だとか、少し寒いねだなんて話せる相手はいないから。おまけに小隊長だなんて、本当嘘みたいだよ。ずっと先輩だった人が、僕の部下になることもあるんだ。嬉しいとかよりも、最初は妙な感傷に浸ってしまってね。ダメだな、僕……自分はもっと図々しいと思っていた」
 手紙を握っている方の手で顔を覆うと、彼は深く息を吐いた。
 フレンの言いたい事――手紙を送る理由、ユーリの返信を求めていない理由。それがフレンの遠回しな言葉でなんとなく理解した。
 ただ、フレンはその日感じた些細な事を吐き出したいだけだったのだ。
 愚痴だとか、噂話だとかそういった俗っぽいものではない。もっと素直な部分で得た、本当に小さな感情の数々を共有できる相手としてユーリを選んでいただけなのだと気付いた。
――今日の風は少し強いね、最近咲いたばかりの花が散るのを思うと少し寂しい。
――久しぶりに君の作るビスケットが食べたいな、ここではあまり菓子類を口にしないから、少し懐かしく感じてしまった。
――今日は市民街の子供に「騎士のお兄さん」と呼びかけられて道を尋ねられたよ。こんなことで、僕は騎士である自覚をするんだ。なんだか可笑しいね。
 単純にただ感じるだけでなく、己の思った事を言葉にする事で見えるものは確かにある。フレンは、そんな取るに足らない自分の話を黙って聞いてくれる存在、ユーリに手紙を送り続けていたのだ。
 本当に親しい相手だからこそ吐き出せる根深く重い話もあれば、その逆も然り。若くして実力を認められたフレンは小隊長という一つ上の階段を登った事によって、彼の言う「一人の時間」をより多く感じる事になるのかもしれないと思うと、ユーリは自分に送られてきた手紙の一通一通がやり場のない彼の叫びのように思えた。
 成る程、これは確かにオレにしかぶつけることは出来ないな――ユーリは後頭部を掻き、彼の寝そべるベッドへと近づいて柔らかなブロンドを撫でる。
「お疲れ様」
 顔を覆っていた手を退け、フレンは拗ねたような顔を覗かせる。
「子供扱いは止してくれ」
「なあに、労ってんだよ」
 彼の叫びを受け止めれる相手が、自分であることにユーリは他ならない誇りのようなものを感じた。
 フレンが手紙に綴る事は、大体が書いた本人でさえ思い出せないような些細な事ばかりだ。けれどそれは、フレン・シーフォという人間が一つ一つ思い、考え、感じた事なのは揺るぐ事のない事実であり、間違いは何処にもない。
 それはフレンの記憶を預かるといった、重大な役割を自分が担っているような。
 ただ手紙を受け取り、封を切って読むという単純な事だったが、ユーリはその時、確かにそんな気がした。
 彼が初めて見た海の青さも、初めて飲んだ酒の感想も。フレンの思い出を、代わりに自分が大切に見守っていようと決めた。
 血縁関係という意味での家族がいない二人にとって、兄弟のような互いの存在は唯一無二であったが、それを示すものを手紙という形で、自分が今までもらっていた事をユーリは知り、柄にもなく嬉しいという感情によって破顔一笑した。
 その一ヶ月後。フレンは正式に、帝国騎士団の若き小隊長として青い団服へと腕を通した。
 その日届いた手紙の内容は、城の壁に巣を作っている渡り鳥を見つけたといった平凡な内容で、もっと語る事があるだろうとユーリは封を切った瞬間に吹き出してしまったのだった。

「ひさしぶり」
 挨拶通り久しい親友の姿を見て、フレンはぎょっと目を見開いた。騎士団の仕事で寄ったヘリオードにて、ふらりと現れたユーリは頭のてっぺんから足先まで余すとこ無くずぶ濡れであったのだ。
 駐屯所に備え付けられてあるタオルを慌てて持ってくるとユーリに手渡し、冷えた体を温めるよう本部へ招きいれたがユーリは首を横に振る。
「カロルたちが宿で待ってんだよ」
 どうやら単独でのギルド任務で訪れたわけではないらしい。フレンはそれならそうと、先に体を拭いてからこちらに訪れたらよかっただろうと呆れながらものを言えばユーリは肩を竦める。
「だってお前とすれ違いになる事多いしよ、もしかしたらいるかもっていう推測で来たもんだから」
 確かに、最近はよく入れ違いになるが。
 だからといって、こんな落ち着きがないのは彼らしくもない。何かあったのかと心配するだろうと零すとユーリは歯を見せて笑った。
 明日の夜までこちらにいるつもりだし、またゆっくり体を休めてから顔を見せに来いとフレンはユーリからタオルを奪い取ると、水が滴る長い髪を荒っぽく拭う。痛い痛いと騒ぐ声には耳を貸さない。こうでもしないと髪の量の多い彼の頭は乾かないのである。
 帰るときには傘を持たせなければ。
 道行くフレンの部下が物珍しそうに、荒々しく髪を拭かれるユーリを見ていた。その顔は強引な手つきによる痛みに歪みこそあれど、なんだか安心しているような、そんな安堵感も感じられた。
『次、もし会う事があれば一番に顔を見せに来てくれ』
 三日前、ユーリの元へ届けられた手紙に、自分がそう綴った事などフレンは覚えてはいなかった。

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